【忙しい人のための日本神話】エピソード8/狂皇子は白鳥の夢を見るか【あらすじ紹介】

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忙しい人のための日本神話エピソード8
とと(父)

こんにちは!
忙しい人のための神話解説コーナーだよ!

この記事では、忙しいけど日本神話についてサクっと理解したいという方向けに、『古事記』をベースにした神話のメインストーリーをざっくりとご紹介していきます。

とりあえず主だった神さまの名前と、ストーリーラインだけ押さえておきたいという方向けのシリーズとなります。

日本書紀』にのみ見られる独自の展開や、各地に伝わる『風土記ふどき』に記されたエピソードなどは、神さま個人(神)を紹介した個別記事をご覧ください。

ヒヒ

とりあえず大まかな流れをつかむというコンセプトじゃ
補足情報は【Tips】として解説しとるが、読み飛ばしても全然OKじゃぞ

ことと

関連記事のリンクを貼っているから、
気になった方はそちらもチェックしてね

とと(父)

ではさっそくいってみよう!

ヒヒ

忙しい人はコチラから本編にすっ飛びじゃ

この記事は、以下のような方に向けて書いています。

  • 日本神話にちょっと興味がある人
  • 日本神話に登場する神さまのことをざっくり知りたい人
  • とりあえず誰かにどや顔でうんちく話をしたい人
この記事を読むあなたのメリット
  • 日本神話のメインストーリーをざっくりと把握出来ます。
  • あなたのエセ教養人レベルが1アップします。
目次

まじで忙しい人のための結論

本気で忙しいあなたのために、今回ご紹介する物語のストーリーラインを、箇条書きでざっくりまとめておきます。

ことと

ぱっと見で把握してね

ヒヒ

何ならここを読むだけでもOKじゃぞ

今回ご紹介する『倭建命やまとたけるのみことの遠征』のストーリー

  • 第十二代景行けいこう天皇の皇子である倭建命やまとたけるのみことは、父の命令を曲解して兄・大碓命おおうすのみことの命を奪ってしまい、その凶暴性を恐れた天皇によって遠征を命じられる
  • 筑紫つくし(九州)へと向かった倭建やまとたけるは、叔母の倭比売命やまとひめのみことから授かった巫女みこの衣装を着て宴に潜り込み、熊曾建くまそたけるの兄弟を討伐する
  • 故郷に戻る道すがらその他の神々も平定・帰順させた倭建やまとたけるは、出雲国いずものくに(島根県)に住む出雲建いずもたけるに友人として近づき、完全な騙し討ちで彼を征伐する
  • 父・景行けいこう天皇のもとに凱旋した倭建やまとたけるは、労いの言葉も休む間もなく東征とうせいの旅を命じられる
  • 相武国造さがむのくにのみやつこの奸計に嵌められた倭建やまとたけるは、叔母の倭比売やまとひめから授かった都牟刈太刀つむがりのたちと火打ち石によって窮地を脱し、「草薙剣くさなぎのつるぎ」の由来譚となる
  • 走水海はしりみずのうみ(浦賀うらが水道)で立ち往生した倭建やまとたけるの一行は、妻・弟橘比売命おとたちばなひめのみことの犠牲により先へと進み、ついに東征とうせいを完了する
  • 尾張国おわりのくに(愛知県)に住む美夜受比売みやずひめと結婚した倭建やまとたけるは、彼女の元に「草薙剣くさなぎのつるぎ」を置いたまま伊吹山いぶきやまの神の平定に向かう
  • 敵の力を見くびった倭建やまとたけるは荒ぶる神のたたりにやられてしまい、故郷の大和国やまとのくに(奈良県)へと向かう途中で息を引き取る
  • 倭建やまとたけるは白鳥となって飛び去り、「草薙剣くさなぎのつるぎ」は熱田大神あつたのおおかみとして祀られる

そもそも「日本神話」って何?

日本神話」とは、ざっくり言うと「日本ってどうやって生まれたの?」を説明してくれる物語です。

原初の神々や日本列島の誕生、個性豊かな神さまが活躍する冒険譚や、彼らの血を引く天皇たちの物語が情緒豊かに描かれています。

現代の私たちが知る「日本神話」の内容は、『古事記こじき』と『日本書紀にほんしょき』という2冊の歴史書が元になっています。

これらは第四十代天武てんむ天皇の立案で編纂が開始され、それぞれ奈良時代のはじめに完成しました。

国家事業として作られた以上、政治的な色合いがあることは否めませんが、堅苦しくて小難しいかと思ったらそれは大間違い

強烈な個性を持つ神々がやりたい放題で引き起こすトラブルや恋愛模様は、あなたをすぐに夢中にさせることでしょう。

とと(父)

日本神話」の全体像は、以下で解説しているよ!

枝年昌『岩戸神楽之起顕』1889年
枝年昌『岩戸神楽之起顕』1889年 PD

さぁ、あなたも情緒あふれる八百万やおよろずの神々が住まう世界に、ともに足を踏み入れてみましょう。

主な登場人物

ヒヒ

この物語の登場人物(神)をざざ~っと挙げておくぞい

エピソード8/狂皇子は白鳥の夢を見るか

前回までのあらすじ

鵜葺草葺不合命うかやふきあえずのみこと玉依毘売命たまよりびめのみことの間に生まれた長男・五瀬命いつせのみことと末っ子の神倭伊波礼毘古命かむやまといわれびこのみことは、父親から地上の統治を引き継ぎ、日向国ひむかのくに(宮崎県)高千穂たかちほの宮に残りました。

伊波礼毘古いわれびこが45歳の時、塩椎神しおつちのかみの助言を受けた兄弟は、より良い統治の場所を求めて東方への旅を決意。

有名な『神武東征じんむとうせい』が始まります。

一行は軍備を整えながら豊国とよのくに宇沙(大分県宇佐市)筑紫国つくしのくにの岡田の宮(福岡県遠賀郡)などを経て本州に上陸。

ここまでは順調に旅を続けた伊波礼毘古いわれびこたちですが、そんな彼らを試すかのように、次々と大ピンチが訪れます。

一行が青雲あおくも白肩しらかたの津(東大阪市日下町)那賀須泥毘古ながすねびこの待ち伏せ攻撃を受けた際、敵矢に当たった兄・五瀬いつせが命を落としてしまいました。

熊野くまのの村で熊野山之荒神くまののやまのあらぶるかみの霊力にあてられた伊波礼毘古いわれびこたちは全員気を失ってしまいますが、天の神々により遣わされた高倉下命たかくらじのみことと霊剣・布都御魂ふつのみたまの力により九死に一生を得ます。

八咫烏やたがらすの道案内も得た軍勢は旅を続け、兄宇迦斯えうかし八十建やそたけるといった敵を撃破。

兄の仇である那賀須泥毘古ながすねびこを討ち取り、後を追ってやって来た邇芸速日命にぎはやひのみことを臣下に加えた伊波礼毘古いわれびこは、ついに大和国やまとのくに(奈良県)へとたどり着きました。

彼は畝傍うねび白橿原かしはら(奈良盆地南部)に宮殿を建てて天皇に即位し、ついに天下を治めることになったのです。

伊波礼毘古いわれびこは137歳で崩御ほうぎょ、偉大な功績を残した彼には、後に「神武じんむ」という漢風諡号しごうが贈られました。

その後も初代天皇の系譜は連綿と続きます。

第二代綏靖すいぜい天皇から第九代開化かいか天皇までの「欠史八代けっしはちだい」と呼ばれる世代を経て、第十代崇神すじん天皇と第十一代垂仁すいにん天皇の時代には個性的な神々が大暴れ。

そして神話の次の物語は、第十二代景行けいこう天皇御代みよにて動きはじめます。

前回のストーリーはコチラ!

とと(父)

今回は、誰もが知る日本神話のスーパーヒーロー・倭建やまとたけるの物語だね!

ことと

この話こそ、ほぼほぼ人間しか登場しないストーリーよね

ヒヒ

とはいえ、日本神話のなかでも特に外せない名場面じゃろぅ

勘違いか思い込みで実兄の命を奪い、父に疎まれて遠征に行かされる【狂皇子の旅立ち】

時代は第十二代景行けいこう天皇御代みよのこと。

天皇には合わせて80人以上の子どもがいましたが、彼はそのうちの3名を日嗣ひつぎ御子みこ(天皇の位を受け継ぐ予定の御子みこ)として側に置き、他の子どもたちは諸国に送り出していました。

その選ばれし3名というのが、若帯日子命わかたらしひこのみこと(後の第十三代成務せいむ天皇)五百木之入日子命いほきのいりひこのみこと、そして今回の主人公・倭建命やまとたけるのみことです。

尾形月耕『日本武尊 草薙剣』
尾形月耕『日本武尊 草薙剣』PD

倭建命やまとたけるのみこと」または「日本武尊やまとたけるのみこと」は、正式には物語の中盤に登場する名称で、幼いころの彼の名前は「小碓命おうすのみこと」といいます。

本来はその時々で適切な呼称を用いるべきですが、分かりやすさを重視する当ブログの方向性にのっとり、本文中では一括で「倭建やまとたける」と呼んでいます。

とと(父)

分かりやすいほうが良いよね!

倭建やまとたけるはある日、父・景行けいこう天皇に呼び出されて、彼の兄である大碓命おおうすのみことについて尋ねられます。

景行天皇

お前の兄ぃは最近、朝夕の食膳にも出て来ん

景行天皇

お前が行って、「ねぎ教え覚ませ」て来いやぁ

ヤマトタケル

合点承知の助!

古代の朝廷において、朝夕の食事を天皇と同じ席についてとることは、恭順の意を示す大切なお作法とされていました。

たしかにこれは重大なマナー違反、倭建やまとたけるは兄・大碓おおうすに事情を聴いてみる事にします。

野原のイメージ

ちなみに、この時景行けいこう天皇が発した「ねぎ」という言葉は、「労い」「慰労」または「丁寧に」といった意味を持ちます。

つまり、天皇は倭建やまとたけるに対して、兄をしっかり慰撫いぶして教え諭してくるよう命じたことになります。

普通なら言われた通りのことをして終わるだけですが、そこは神話の主人公。

倭建やまとたけるは父の命令を盛大に曲解し、物語の発端となるとんでもない悲劇を引き起こすことになります。

そんなこんなで大碓おおうすのもとを訪ねた倭建やまとたける、彼が兄に事情を問うと、概ね以下のような経緯いきさつがあったそうな。

オオウス

実はのぅ…

あるとき景行けいこう天皇は、美濃国みののくに(岐阜県)に住む兄比売えひめ弟比売おとひめの姉妹がとても美しいという噂を聞きつけ、彼女らを妻に迎えようと画策します。

そこで使いに出されることになったのが大碓おおうす、彼は姉妹を迎えに現地へと向かいました。

オオウス

あんだけ嫁も子もおってまーだ欲しいんかい…

オオウス

どんなバイタリティやねん…

父親の新しい妻を迎えに行くという、なんともやる気の出ない仕事にうんざり気分の大碓おおうすですが、件の姉妹を実際に見た彼は別の方向にそのやる気をたぎらせます。

聞いていた以上に美しい兄比売えひめ弟比売おとひめに一目惚れしてしまった彼は、なんと父の勅命を握りつぶし、自身が姉妹と契りを結んでしまったのです。

さらに大碓おおうすは、天皇の妻候補を横取りしただけでなく、その身代わりとしてよく似た別の姉妹を父親に差し出したとのこと。

どうやらそれが気まずいやら引け目に感じるやらで、兄は食事の席にめっきりと顔を出さなくなった、という事のようです。

オオウス

いやぁ~、さすがに絶対バレてる気がするって~…

ヤマトタケル

でもよく似とるんなら、その姉妹も美しいんやろ?

オオウス

そやけど、親父その子らには一切手ぇ出しとらんのよ…

ヤマトタケル

ほ~ん…まぁ事情は分かったわ

豪勢な和食のイメージ

それから5日ほど経っても、相も変わらず食事の席に顔を見せない大碓おおうすに、さすがの景行けいこう天皇も業を煮やします。

彼は改めて倭建やまとたけるを呼び出し、兄の件がどうなったか問い詰めました。

景行天皇

例の「ねぎ」教えるの件、どうなっとんのかい!

ヤマトタケル

え?
もうとっくに「ねぎ」りましたぜ?

ヤマトタケル

そりゃあもう派手に「ねぎ」り倒したりましたわ!
わっはっは!

景行天皇

…?
じゃあ、あれがここにおらんのはどういうワケじゃい…?

倭建やまとたけるから詳しい事情を聞いた景行けいこう天皇の顔からは、瞬く間に血の気が失せていきました。

何と彼は、兄・大碓おおうすかわや(=トイレ)に入ったのを見計らって背後から襲撃し、滅多打ちにして身体をバラバラに引き裂いたうえ、こもに包んで裏庭に投げ捨ててしまったというのです。

ヤマトタケル

だって父上、「ねぎ」って来い言いましたやん…?

景行天皇

(っっっっっっわ!!!!!)

景行天皇

(マイソンながら、こいつヤバ過ぎるでしょ…)

若干16歳の息子に異常な残虐性と凶暴性の片鱗を見た景行けいこう天皇は、次第に倭建やまとたけるを恐れ疎ましく思うようになり、あるとき彼にこんな命令を下します。

景行天皇

西の方に熊曾建くまそたけるとかいう兄弟がおってのぅ
そいつらがわしらの言う事聞きよらんのじゃ

景行天皇

お前さん、ちょっと行ってシバいて来いや

景行天皇

(そして、もう戻って来るな…)

ヤマトタケル

合点承知の助!

父の思惑を知らない倭建やまとたけるは、自身の能力が認められたのだと素直に大喜び。

彼は意気揚々と出立し、まずは伊勢国いせのくに(三重県)に住む叔母の倭比売命やまとひめのみことのもとに、季節のご挨拶に出かけます。

伊勢神宮内宮の正殿
伊勢神宮内宮の正殿
ヤマトタケル

よっ、オッバ!

倭建やまとたけるを出迎えた倭比売やまとひめは複雑な心境を抱いていました。

わざわざ顔を見せに来た甥っ子を可愛いと思う一方で、彼女もまた先日の彼の凶行について聞き及んでいたからです。

ヤマトヒメ

兄ぃ、体よく厄介払いしよってからに…

甥っ子にも明らかな過失はあるものの、無邪気に死地に追いやられようとする倭建やまとたけるを気の毒に思った倭比売やまとひめは、彼に巫女みこの衣装と短刀を授けました。

ヤマトタケル

これが何になるのん…?

ヤマトヒメ

まぁ、行けば分かるから

使い道は分からないものの、叔母から重要そうなアイテムを授かった倭建やまとたけるは血気盛んに伊勢いせの地を出立し、一路筑紫つくし(九州)へと向かいます。

倭建命の旅路を示した図1
ことと

っわ!!
序盤からサイコパス全開じゃない!!

ヒヒ

娘の横取りを王権への反逆と捉え、
大碓おおうすを討伐の対象と見なす説も存在するぞい

ヤマトタケル

さー!ガンガン進んでいこーっ!!

女装して宴に潜入!華麗にバックスタブを決めて熊曾くまそを平定する【VS.熊曾建くまそたける

西に向けて旅を続けた倭建やまとたけるは無事に筑紫つくし(九州)の地に上陸し、現在の熊本県と鹿児島県付近にあたる、熊曾くまその勢力圏内へと入ります。

彼はさっそく敵陣の視察にあたりますが、さすがは近辺を支配する熊曾建くまそたける、彼らが住む館の周辺には数多くの軍勢が守備についており、単独では手の出しようがありません。

その一方、敵は新たな家屋の建築も進めているらしく、もうじき行われる新室にいむろ祝いの準備で忙しくしており、不特定多数の人々が領内に出入りしている様子。

熊襲穴
熊曾建が住んだとされる熊襲穴
ヤマトタケル

ほ~ん、これは使えるかもわからんね!

倭建やまとたけるはその祝宴の日を待ち、叔母の倭比売やまとひめからもらい受けた衣装を身にまとって女装します。

こうして彼は、給仕のために出勤してきた女性たちに紛れて、邸内への侵入にまんまと成功しました。

異常な凶暴性をもつとはいえ天皇家の御子みこである倭建やまとたける、その育ちの良さは本物で、彼の立ち振る舞いから滲み出る気品はすぐに熊曾建くまそたける兄弟の目に留まります。

月岡芳年『女装する日本武尊』
月岡芳年『女装する日本武尊』PD
クマソタケル・兄

これ、そこの可愛いの
こっちに来いや

クマソタケル・弟

何と品の良い女子じゃぁ~

彼は兄弟の間に座らされ、幸運な事に、いとも簡単に敵の懐に入り込むことが出来ました。

それからしばらくは盛んに酒が酌み交わされ、祝宴の盛り上がりは最高潮を迎えます。

月岡芳年『日本武尊と 川上梟帥』
月岡芳年『日本武尊と 川上梟帥』PD

倭建やまとたけるは宴もたけなわとなった頃合いを見計らい、倭比売やまとひめから授かった短刀を鞘から抜くと、まずは兄の胸を一息に貫きました。

クマソタケル・兄

グフゥツ…?

声を上げる間もなく倒れ込む兄を見た弟は、恐れをなして逃げ出そうとしますが、倭建やまとたけるはすかさず彼を捕えてその尻に刃を突き立てます。

もはやこれまで、敗北を悟った熊曾建くまそたける・弟は、自分たちの命を奪う謎の人物の正体を知りたいと思ったようです。

クマソタケル・弟

お、おどれ…
どこの回しもんじゃい…

ヤマトタケル

わしは景行けいこう天皇の皇子・倭男具那命やまとおぐなのみこと*!
朝廷にまつろわぬ貴様らを討伐しに来たのじゃ!!
※彼の別称

クマソタケル・弟

ここら一帯にはわしらより強いもんはおらん…
大和国やまとのくに(奈良県)にはとんでもないバケモンがおるんじゃのう…

クマソタケル・弟

今後はわしらの名を取って、倭建御子やまとたけるのみことでも名乗ったらえぇ…

ヤマトタケル

なるほどね、いただきっ!!

熊曾建くまそたける・弟が必要なことを言い終えたとみた倭建やまとたけるは、彼の身体をいともたやすく斬り裂いてしまいました。

これまで正式には「小碓おうす」や「倭男具那やまとおぐな」の名で呼ばれてきた彼ですが、この場面でついに、古代日本に燦然さんぜんと輝く「倭建命やまとたけるのみこと(日本武尊やまとたけるのみこと)」という名称が誕生したのです。

ことと

倭建やまとたけるの名は敵から贈られたものだったのね!

ヒヒ

古代において、
敵に名を献上することは服属を意味していたのじゃ

とと(父)

しかし結構トリッキーな戦い方をするものだね

こうして見事熊曾くまそを平定した倭建やまとたけるは、筑紫つくし(九州)の地をあとにして、ようやく帰路に就くことが出来ました。

ヤマトタケル

さー!ガンガン戻っていこーっ!!

倭建命の旅路を示した図2

帰りの道すがら地方の神々を叩き潰し、調子に乗ってるヤツを騙し討ちでほふる【VS.出雲建いずもたける

熊曾建くまそたける討伐の使命を無事に果たした倭建やまとたけるですが、彼は直接大和国やまとのくに(奈良県)には戻らず、日本海側の出雲国いずものくに(島根県)を経由して地元に帰ることにしました。

ヤマトタケル

他にもなんか手土産があれば、父上も喜ぶやろ!!

倭建やまとたけるはその道中においても、山の神さまや河の神さま、海峡の神さまなど、朝廷に従わぬ神々を次々にシバきあげて平定・帰順させていきます。

地方の神々からすれば迷惑極まりない暴力の台風のような彼ですが、その圧倒的な強さの前にほとんどの者が膝を屈しました。

そんな折、出雲国いずものくに(島根県)に入った倭建やまとたけるはこんな噂を耳にします。

ヤマトタケル

(出雲建いずもたけるとかいうもんがこの辺で調子に乗っとる…?)

ヤマトタケル

(そらきっちりしめて帰らんと、さて、どうするかのう…?)

またも計略をめぐらせ始めた倭建やまとたける、彼は出雲建いずもたけるに正面から勝負を挑むのではなく、まずは何食わぬ顔をして友人として近づくことにしたのです。

ことと

もうすでになんか怖いんですけど

ヤマトタケル

ふっふっふっ…

稲佐の浜(伊耶佐の浜)
島根県出雲市にある稲佐の浜(伊耶佐の浜)

特に疑われるでもなく出雲建いずもたけると懇意になった倭建やまとたけるは、ある日彼にこんな提案をします。

ヤマトタケル

やぁわが友よ!
こう暑くてはかなわん、共に水浴びにでも行かないか!

もちろんだマイフレンド!
さっそく向かおうではないか!

連れ立って肥河ひのかわ(斐伊川ひいかわ:島根県東部~鳥取県西部)を訪れた2人は沐浴を行って心身を清めますが、先に河からあがった倭建やまとたけるがこんなことを言い出しました。

ヤマトタケル

なぁ友よ!
我らの友情の証に互いの太刀を交換し、
軽く手合わせしようではないか!

もちろんだ盟友よ!
受けて立とう!

刀剣のイメージ

倭建やまとたける出雲建いずもたけるの太刀をぬらりと抜くと、大上段に構えて試合に備えます。

その一方、出雲建いずもたけるは何やらまごついており、うまく刀を抜けずにいるようです。

それもそのはず、倭建やまとたけるが彼に渡した太刀はいちいの木で精巧に作られた偽物で、つまり単なる木刀だったのです。

ヤマトタケル

出雲建いずもたけるぅ!!
そのたまもろたでぇぇぇ!!!

ヤマトタケル

キィエェェェェェェェィィィ!!!!!

うぎゃぁ~

なんと倭建やまとたけるは、慌てる出雲建いずもたけるに一方的に襲いかかり、清々しいまでの騙し討ちで彼を一刀のもとに斬り伏せてしまいました。

友になれたと…
思ったのに…バタッ

偽りとはいえ、今日まで友人として過ごしてきた出雲建いずもたけるの亡骸を見下ろした倭建やまとたけるは、おもむろにこんな歌を詠います。

やつめさす

出雲建いずもたける

ける太刀たち

黒葛多纏つづらさはま

身無みなしにあはれ

刀のイメージ

(意)あっれれ~?おっかしいなぁ~?出雲建いずもたける君の太刀、見た目は立派なのに肝心の刀身が無いぞぉ~?

無情にも程がある和歌を詠んだ倭建やまとたけるは、数々の副産物を手土産に、一路大和国やまとのくに(奈良県)へと戻ります。

倭建命の旅路を示した図3
【Tips】あれ?英雄が主人公の物語でしたよね…?
ことと

精一杯オブラートに包んで表現するわね…

ことと

とんっでもないク〇野郎じゃねぇかっ!!!

ヒヒ

現代の価値観で神話を裁いてはいかんぞい

現代人である私たちの感覚からすると、とても主人公とは思えない卑劣な外道っぷりを発揮している倭建やまとたける

しかし現実の古代世界においては、たとえ智謀や計略を駆使してでも、とにかく敵に勝利することが英雄の条件とされていたのも事実です。

当時は勝ち方自体はたいして重視されず、どんな手を使ってでも勝利して、最後に立っていた者だけが英雄として称えられたのです。

ヤマトタケル

わしの時代では、これがジャスティスだったから!!

ヒヒ

ちなみに肥河ひのかわは、建速須佐之男命たけはやすさのをのみことによる
八俣遠呂智やまたのおろち退治の舞台でもあるぞい

西征せいせいから帰ったら東征とうせいを命じられ、さすがに父親の意図を察する【VS.相武国造さがむのくにのみやつこ

熊曾建くまそたけるばかりか出雲建いずもたけるまでも討ち取った倭建やまとたけるは、堂々たる態度で大和国やまとのくに(奈良県)に凱旋し、父・景行けいこう天皇に事の子細を報告しました。

景行天皇

(お侍さまの戦い方じゃない…)

それなりの出迎えや労いの言葉を期待した倭建やまとたけるでしたが、そんな彼を待ち受けていたのは、容赦のない過酷な次なる勅命でした。

景行天皇

東方にも12ほどまつろわぬ者どもがおってのぅ…
そいつらどうにかしてきてくれや…

ヤマトタケル

合点承知の…すけ…?

景行けいこう天皇は、長い西征せいせいの旅から生還した息子を褒めて遣わすこともなく、その疲れも癒えぬうちに東国への遠征を命じたのです。

さらに、東征とうせいにあたって朝廷から支給されたのは、御鉏友耳建日子みすきともみみたけひこという名のお伴が1人に柊で出来た長いほこが1本だけ。

頭のネジがほとんど抜けた倭建やまとたけるにも、父・景行けいこう天皇の意図が何となく読めました。

彼は再び伊勢国いせのくに(三重県)に住む叔母の倭比売やまとひめのもとを訪れ、今回ばかりはさすがに愚痴をこぼします。

伊勢神宮 正宮
伊勢神宮 正宮
ヤマトタケル

ちくしょう…
とんはワシに、死ね言うとるんじゃ…

ヤマトヒメ

まぁ甥よ、ええもんやるから
これで気張ってきんさいな

倭比売やまとひめは落ち込む倭建やまとたけるに、後に三種の神器のひとつに数えられる霊剣・都牟刈太刀つむがりのたちと、何かが入った小袋を授けました。

ヤマトヒメ

この袋は、ガチで万一の時にだけ開けるんやぞ?

ヤマトタケル

帰ってきたド〇えもんかな?

ちなみに、この時倭建やまとたけるが受け取った都牟刈太刀つむがりのたちは、須佐之男すさのを八俣遠呂智やまたのおろちを退治した際に手に入れた、あの都牟刈太刀つむがりのたちです。

あの都牟刈太刀つむがりのたちはコチラ!

再び倭比売やまとひめから重要アイテムを授かった倭建やまとたけるは、がっくりと肩を落としながらも、とぼとぼと東方に向けて旅立ちます。

野原のイメージ

その途中、尾張国おわりのくに(愛知県)に立ち寄った彼は、その地の国造くにのみやつこの祖となる女神・美夜受比売みやずひめと出会いました。

2人は意気投合して結婚も考えますが、今の倭建やまとたける東征とうせいの使命を帯びた身、彼らは婚約だけ交わして一旦別れます。

倭建やまとたけるはそれからも、荒ぶる神々や朝廷に従わない人々をボコボコにしてまわり、東に向けてグイグイと進んでいきました。

彼らが相模国さがみのくに(神奈川県)に入った時のこと、現地の国造くにのみやつこがこんな相談を持ち掛けてきます。

国造

実は荒々しく恐ろしい神が住む沼がありましてのぅ…
先生のお力で、どうにかなりませんですやろか…

ヤマトタケル

おっし、任せとき!!

倭建やまとたけるが件の沼におもむくために野原に入ると、突如として四方を炎に囲まれてしまいました。

火を放ったのは例の国造くにのみやつこ倭建やまとたけるの進撃を快く思わない勢力が、彼を罠に嵌めようとしたのです。

国造

はっはっは~!
万事休すだなぁ若造め!!

事実大ピンチに陥った倭建やまとたけるは、必死に打開策を考え、叔母の倭比売やまとひめから授かった謎の袋を思い出します。

ヤマトタケル

『ウソ8〇0エイトピーオー』~!!

ヤマトタケル

…じゃない、火打ち石かいな
あっ、なるほど!!

倭建やまとたけるは、都牟刈太刀つむがりのたちで草を薙ぎ払って身の回りから燃えるものを失くすと、火打ち石で火を起こし向かい火をつけました。

こちら側からも草を燃やすことによって、迫りくる炎の勢いを弱めることが出来るのです。

全身すすだらけになりながらも無事に脱出した倭建やまとたけるは、卑劣な奸計を巡らせた国造くにのみやつこの一族をすべて斬り伏せ、火を放って焼いてしまいました。

歌川国芳『日本武尊』
歌川国芳『日本武尊』PD
ことと

人に卑劣とか言えた口じゃないけどね

この出来事により、その地は焼津やいづ(静岡県焼津市)と呼ばれるようになったと伝えられています。
※このエピソードの舞台は、正確には駿河国するがのくに(静岡県)だったとも言われています。

また、草を薙ぎ払うことで倭建やまとたけるの命を救った都牟刈太刀つむがりのたちは、この逸話が由来となって「草薙剣くさなぎのつるぎ」と呼ばれるようになり、後に天皇家の権威の象徴である「三種の神器」のひとつに数えられることになります。

ことと

ずっと思ってたんだけど…
的確なお助けアイテムを寄越す倭比売やまとひめって何者なの?

とと(父)

彼女は伊勢神宮いせじんぐうの縁起にも関わる
ほどの能力を持つ巫女みこだったとされているよ!
予言者的な力があったのかもね!

ヒヒ

自身も倭建やまとたけるばりに各地を渡り歩いた経験があるので、
多少感情移入したのかもしれんのぅ…

倭比売やまとひめも40年近く放浪したよ

倭比売命が伊勢に至るまでを説明した地図

九死に一生を得た倭建やまとたけるは、へこたれることなく東に向けての旅を続けます。

ヤマトタケル

さー!ガンガン行くぞーー!!

倭建命の旅路を示した図4

身を挺した妻のおかげで荒ぶる海神わたつみが鎮まり、道が開ける【東征とうせい完了】

一行が相模国さがみのくに(神奈川県)を出て、上総国かずさのくに(千葉県)に渡る走水海はしりみずのうみ(浦賀うらが水道)に差し掛かったころ、次なるトラブルが発生しました。

倭建やまとたけるはこの狭く潮流の早い海峡を渡ろうとしますが、その日は嵐が吹き波が荒れ、船は同じところをぐるぐると回るばかりで一向に先へと進まないのです。

荒れる海のイメージ
ヤマトタケル

う~ん、この辺の海神わたつみが怒り狂っとるのう…

ヤマトタケル

どうしたものか…

彼が対応に困っていると、旅に同伴していた倭建やまとたけるの妻・弟橘比売命おとたちばなひめのみことが一歩進み出てこう言います。

オトタチバナヒメ

わたくしが海神わたつみの妻となり、
その怒りを鎮めてご覧にいれましょう…

ヤマトタケル

ぎょぎょっ!!?

『日本開闢由来記』より日本武尊と弟橘媛
『日本開闢由来記』より日本武尊と弟橘媛
出典:国書データベース

古来より、荒れる海を鎮めるためには生贄いけにえを捧げるのが一番だと信じられてきました。

海神わたつみのもとに嫁ぐという事はつまりそういう事であり、弟橘比売おとたちばなひめは、自ら人身御供ひとみごくうとなることを買って出たのです。

いくら使命を果たすためとはいえ、愛する妻をみすみす死なせるなど、簡単に受け入れられることではありません。

そんな倭建やまとたけるの心情を察してか、弟橘比売おとたちばなひめはこう付け加えます。

オトタチバナヒメ

あなたには、東征とうせいを果たすという大義がある
その成功を景行けいこう天皇に報告する責務があるのですよ

ヤマトタケル

ぐぬぬ…

背に腹は代えられぬと判断した倭建やまとたけるは、荒れ狂う波の上に8枚重ねのすげの敷物、8枚重ねの獣皮じゅうひの敷物、8枚重ねの絹の敷物を敷くと、その上に弟橘比売おとたちばなひめを降ろしました。

しばらくして彼女の姿が波間から消えると、走水海はしりみずのうみの波は自然と穏やかになり、一行は無事に海峡を渡る事が出来たのです。

弟橘比売おとたちばなひめは夫に別れを告げて入水じゅすいする際、最期にこのような歌を詠みました。

波のイメージ

さねさし

相武さがむ小野おの

ゆる

火中ほなかちて

ひしきみはも

(意)かつて相模さがみの燃え盛る炎の中で、あなたは私を救ってくださいましたね

【Tips】あれ?倭建やまとたけるに奥さんいたっけ…?
ことと

倭建やまとたける編にしてはまともに切ない話
のところ申し訳ないのだけど…
弟橘比売おとたちばなひめとはどこで出会ったの?

実は、倭建やまとたける弟橘比売おとたちばなひめの出会いについては、『古事記』にはその詳細が記されていません。

上記の歌から察するに、後に焼津やいづ(静岡県焼津市)と呼ばれる小野おのの地での火攻めの際、巻き込まれた弟橘比売おとたちばなひめは、倭建やまとたけるにその命を救われていたのでしょう。

自身の命を投げうってまで夫の活路を切り拓くという彼女の行動には、この時の恩返しの意味も含まれていたのかもしれません。

ことと

わぉ、正統派の悲しい純愛物語ね

ヒヒ

自己犠牲の物語は古来よりテッパンじゃからのう

とと(父)

常陸国風土記ひたちのくにふどき』では、
2人がのどかに暮らした様子も描かれているよ!

菊池容斎『前賢故実』より弟橘媛
菊池容斎『前賢故実』より弟橘媛

それから7日後、弟橘比売おとたちばなひめが髪に挿していたくしが、倭建やまとたけるのもとに流れ着きました。

くしには持ち主の魂が宿るとも考えられていたので、彼はそれを妻の霊代たましろ(霊の代わりとなるもの)とし、弟橘比売おとたちばなひめのために立派な墓を築きます。

倭建やまとたけるもよほど弟橘比売おとたちばなひめが恋しかったのか、しばらくの間は彼女に対する未練を捨てきれない様子を見せ、その言動はさまざまな場所の地名の起源となりました。

一行が無事に港に到着した際、倭建やまとたけるが妻恋しさに幾日も海岸をさまよっていたことから、その地は「君不去きみさらず」と呼ばれるようになります。

ことと

現在の「木更津きさらづ」のことよ

また、旅の一行が後に足柄山あしがらやま(神奈川県箱根)の坂の上に登った際、倭建やまとたける走水海はしりみずのうみの方を見て、

ヤマトタケル

吾妻あづまはや…
(ああ、我が妻よ…)

と呟いたことから、足柄あしがらより東の方を「あずま」と呼ぶようになったそうです。

さらに、弟橘比売おとたちばなひめが身に着けていた着物の袖が流れ着いた場所は、「袖ケ浦そでがうら」と名付けられたとも言われています。

いずれにせよ、愛する妻の犠牲のもとにやっと拓けたこの道、中途半端は許されないと決意を新たにした倭建やまとたけるは、気合十分に上総国かずさのくに(千葉県)へと入り東征とうせいの旅を続けました。

地上世界のイメージ
ことと

何かこのあたりの倭建やまとたけるは、
やけに人間味がある感じがするわね

ヒヒ

さまざまな地方伝承がひとつに集約された結果、
倭建やまとたける」なる人物が生まれたというのが定説じゃ
多面的な性格を持っとるもの無理なかろう

それからの彼はまさに破竹の勢い、荒れ狂う蝦夷えみしをことごとくぶちのめして平定し、朝廷に従わない山や川の荒ぶる神々をも次々と帰順させていきます。

とと(父)

以下のルートで諸国を周ったよ!

  • 甲斐国かいのくに(山梨県)
  • 信濃国しなののくに(長野県)
  • 美濃国みののくに(岐阜県)

もはや我らに逆らう者なし、ついに東国の平定を完了した倭建やまとたけるは、意気揚々と帰路につきました。

その道すがら、彼はかつて結婚の約束をした美夜受比売みやずひめが待つ、尾張国おわりのくに(愛知県)に向かうことにします。

倭建命の旅路を示した図5
ヤマトタケル

さー!ゴンゴン戻ろーっ!!

【最終回】慢心?驕り?英雄は道半ばで倒れ白鳥となり飛び去る【辞世の歌ラッシュ】

東征とうせいの使命を果たした倭建やまとたけるは、堂々たる面持ちで尾張国おわりのくに(愛知県)へと帰還し、婚約者である美夜受比売みやずひめのもとを訪ねました。

2人は約束通り結婚し、しばらくは尾張おわりの地での新婚生活を楽しみます。

ある日倭建やまとたけるは、伊吹山いぶきやま(岐阜県・滋賀県にまたがる山)に棲むという荒ぶる神を平定するために出立します。

しかしこの時の彼は、

ヤマトタケル

片田舎の荒神なんぞ、素手でぶっ飛ばしたろうやないかぃ!!

ヤマトタケル

なんせわし、西征せいせい東征とうせいの英雄ぞ…?

うそぶき、美夜受比売みやずひめの心配もよそに、伝家の宝刀・草薙剣くさなぎのつるぎを家に置いたまま出かけてしまいました。

森の道のイメージ

しばらく後、伊吹山いぶきやまの麓をズカズカと進む倭建やまとたけるの近くに、牛のように大きな白いいのししが現れます。

ヤマトタケル

ほほ、何やら面妖めんような畜生じゃ
きっと山の神の遣いに違いない

ヤマトタケル

今は見逃して、後でほふってぼたん鍋にでもしてくれよう!
かっかっかっ!

(ブチッ…)

倭建やまとたけるには人(神)を見る目があまりなかったのか、その白いいのししこそが伊吹山いぶきやまの神であることを見抜けませんでした。

黙れ小僧!!!

侮辱されたことに怒った伊吹山いぶきやまの神は、その強い霊力で祟りを起こし、大粒のひょうを激しく降らせて倭建やまとたけるの身体を打ち据えます。

ヤマトタケル

ぐ、ぐぇぇぇ…

正常な判断力をほとんど失うほどに惑わされた倭建やまとたける、やっと正気を取り戻した時には、彼の身体はすっかり衰弱していました。

杖にすがるようにしてやっと歩けるような状況で、ついに弱気になった彼の足は、自然と故郷の大和国やまとのくに(奈良県)の方に向けられます。

山道のイメージ
ヤマトタケル

あぁ~ヤベェ、なんちゅうこっちゃ…

伊吹山いぶきやまの神の祟りによって、これまでの無双っぷりからは想像できない程に病気がちとなってしまった倭建やまとたける

それでも彼は、力を振り絞って故郷へと歩を進めました。

途中で立ち寄った場所では、自由に歩けないことを嘆いた倭建やまとたける

ヤマトタケル

まったくこのあたりは「たぎたぎしい」ね…
※道がでこぼこして歩きにくい

と愚痴をこぼしたことから、その地は当芸野たぎの(岐阜県養老郡養老町)と呼ばれるようになりました。

また、彼が杖をついてよろよろと登った坂は、杖衝坂つえつきざか(三重県四日市市)と名付けられます。

日に日に弱っていく身体と悪化する病状を押して旅を続ける倭建やまとたけるは、能煩野のぼの(三重県鈴鹿市付近)にたどり着いた際、故郷を偲んでこんな歌を詠みました。

やまと くにのまほろば

たたなづく 青垣あおがき

山隠やまごもれる

やまとしうるはし

伊勢志摩のイメージ

(意)重なり合い、青い垣を巡らしたような山々に囲まれた大和国やまとのくには本当に美しい

倭建やまとたけるは自身の死期を悟ったのか、はたまた既に走馬灯が見え始めていたのか、自身の感情を吐露とろするかのような内容の歌を次々と詠みます。

樫の木のイメージ

いのち またけむひと

疊薦たたみこも

平群へぐりやま

熊白檮くまかし

髻華うず その子

(意)命の満ち溢れている人たちは、平群へぐりの山の樫の葉を髪に挿して、生命を謳歌すると良いよ

しけやし

我家わぎへかた

雲居立くもいた

茅葺屋根のイメージ

(意)懐かしい我が家の方から、雲が湧き昇っているなぁ

ここで倭建やまとたけるの病状は急激に悪化し、ついに彼は人生最期の歌を詠みました。

太刀のイメージ

嬢子おとめ とこ

きし

つるぎ太刀たち

その太刀たちはや

(意)ああ、美夜受比売みやずひめのところに置いてきたわしの草薙剣くさなぎのつるぎよ、ああ、あの太刀よ…

ことと

そこはせめて美夜受比売みやずひめの方を思い出してあげて欲しかったわ

ヒヒ

これ、今はそっとしておきなさい

巫女みこの加護を受けた霊剣・草薙剣くさなぎのつるぎを置いて出かけてしまったばかりに、山の神の祟りを受けて瀕死の状態になってしまった…

倭建やまとたけるは、強い悔恨かいこんと絶望を感じながら息を引き取りました。

ただちに早馬が大和国やまとのくに(奈良県)へと送られ、景行けいこう天皇たちに悲報が伝えられます。

訃報ふほうを聞いた倭建やまとたけるの妻子たちは急ぎ現地に駆け付け、すぐさま彼の墓を造営し、厳粛な葬儀を執り行いました。

残された者たちが泣きながら歌を詠むと、倭建やまとたけるの霊魂は白鳥となり、海辺へと飛んで行きます。

飛び立つ白鳥のイメージ

妻子たちは足の痛さも忘れてその後を追いますが、白鳥は河内国かわちのくに志磯しき(大阪府柏原市)に一旦留まったのを最後に、天空の彼方へと飛び去ってしまいました。

それから彼がどこに行ったのか、誰も知りません。

倭建命の旅路を示した図6

残された美夜受比売みやずひめは、夫が遺した草薙剣くさなぎのつるぎを祀るために熱田あつたの地に社を建て、これが熱田あつた神宮の起源となりました。

長い旅を続けた草薙剣くさなぎのつるぎは最後の主人の手を離れると、熱田大神あつたのおおかみとして信仰されるようになったのです。

ことと

なんか無茶苦茶なやつだったけど…
父親に愛されるために頑張ったのかなと思うと…

ことと

なかなか切ない話よね~

とと(父)

手の付けられない荒々しさはあったけど、
根は純粋だったとも言えるよね!

ヒヒ

不運な最期を迎える主人公
いわゆる「判官贔屓ほうがんびいき」というやつで、古来より日本人に好まれる物語のパターンじゃな

ヤマトタケル

さすがワシ、引き際も芸術的じゃ!!

ヤマトタケル

長かったけど、最後まで読んでくれてサンキューじゃい!!

【Tips】『日本書紀』ver.は結構内容が違う!?

今回ご紹介した倭建やまとたけるの物語は、基本的には『古事記』に準拠したものとなっています。

もちろん『日本書紀』にも彼の冒険譚は描かれているのですが、実はその内容が『古事記』とはかなり異なっているのです。

ヒヒ

ざっくりと違いをまとめてみるぞい!

スクロールできます
比較ポインツ『古事記』『日本書紀』
倭建やまとたけるの性格兄・大碓命おおうすのみことをバラバラにしてしまう凶暴性をもつ兄の命を奪うシーンは描かれず、残酷な側面のない勇敢な少年として登場
父・景行けいこう天皇の性格自分は大和やまとから一切動かず、ろくな装備も資金も与えずに息子を死地に追いやる、まるでド〇クエの王様自分から積極的に遠征に出ており、熊曾建くまそたける討伐も自身の軍団で成し遂げた倭建やまとたける派遣は熊曾くまその第二次反乱の折に行われる
東征とうせいのきっかけ父に疎まれたことから、西征せいせいの疲れを癒す間もなく出陣の勅命を受ける東征とうせいを命じられ怖気づいた兄に代って自ら志願し、休むことなく東方に旅立つ
倭建やまとたける逝去に対する父の反応特になし息子の死を大いに悲しみ、彼の事績を惜しんで東国への行幸ぎょうこうに出る
ことと

日本書紀』では、より分かりやすい
王道モノのヒーローとして描かれているわね

とと(父)

日本書紀』が海外向けであることを考えると、天皇も
しっかり活躍していないと格好が付かないんだろうね!

ヒヒ

天皇家の身内にヤバイ奴がおるのも、
政治的には良くないじゃろうからの

ヤマトタケル

君たちはどっちのワシが好きだったかな!?

圧倒的な力を誇りながらも、父に疎まれて失意のうちに没した日本神話の悲劇のヒーロー・倭建やまとたけるの物語はこれにて完結です。

次回は、倭建やまとたけるの息子である第十四代仲哀ちゅうあい天皇とその后・神功皇后じんぐうこうごうの物語をご紹介します。

神功皇后

お楽しみに!

…to be continued!!!

次回はコチラ!

おわりに

今回は、日本神話において燦然さんぜんと輝く英雄譚、『倭建命やまとたけるのみことの遠征』について解説しました。

ことと

狂った凶暴性をもちながらも父に認められるために体を張る…
なかなか不安定な性格が彼の魅力でもあるのかもね

とと(父)

悲劇的な最期を迎える主人公ってのは、
どうしたって心に残るものだよね!

パパトトブログ-日本神話篇-では、私たちの祖国に伝わる魅力的な神々や彼らの物語をご紹介していきます。

神さま個別のプロフィール紹介や神話の名場面をストーリー調で解説など、難しい言葉は出来るだけ使わずに、あらゆる角度から楽しんでもらえるようにしようと考えています。

これからも「日本神話」の魅力をどんどんご紹介してきますので、良ければまた読んでもらえると嬉しいです!

とと(父)

また来てね!

しーゆーあげん!

参考文献

  • 倉野憲司校注 『古事記』 岩波文庫 2010年
  • 島崎晋[監修] 日本博学倶楽部[著] 『日本の「神話」と「古代史」がよくわかる本』 PHP文庫 2010年
  • 由良弥生 『眠れないほど面白い『古事記』』 王様文庫 2014年
  • 由良弥生 『読めば読むほど面白い『古事記』75の神社と神さまの物語』 王様文庫 2015年
  • 歴史雑学研究倶楽部 『世界の神話がわかる本』 Gakken 2010年
  • 宮崎市神話・観光ガイドボランティア協議会編集 『ひむか神話伝説 全212話』 鉱脈社 2015年
  • 中村圭志 『図解 世界5大神話入門』 ディスカヴァー・トゥエンティワン 2020年
  • かみゆ歴史編集部 『マンガ面白いほどよくわかる!古事記』 西東社 2017年
  • 戸部民夫 『「日本の神様」がよくわかる本』 PHP文庫 2007年
  • 三浦佑之 『あらすじで読み解く 古事記神話』 文藝春秋 2013年
  • 國學院大學 「古典文化学」事業:https://kojiki.kokugakuin.ac.jp/research/
  • 茂木貞純監修『日本の神様ご利益事典』だいわ文庫 2018年
  • 武光誠『知っておきたい日本の神様』角川ソフィア文庫 2005年
  • 阿部正路監修『日本の神様を知る事典』日本文芸社 1987年

他…

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