こんにちは!
今回は日本神話より倭建命を紹介するよ!
倭建命?
それってあの有名なヤマトタケルのこと?
そう、彼は日本神話に登場する軍神だよ!
その悲劇的な物語から、現代でも人気が高い人物なんだ!
ざっくり言うと、大和王権による地方勢力平定の物語じゃな
ではさっそくいってみよう!
このシリーズでは、忙しいけど日本神話についてサクっと理解したいという方向けに、「かんたん・わかりやすい」がテーマの神々の解説記事をお送りしています。
超個性的な八百万の神々が織りなす、笑いあり、涙ありのトンデモぶっ飛びストーリーが、あなたに新たなエンターテイメントとの出会いをお約束します。
人間味溢れる自由奔放な神々の色彩豊かで魅力的な物語に、ぜひあなたも触れてみてくださいね。
今回は、圧倒的な武力を背景に次々と地方を制圧した偉大な戦士にして、人間的な苦悩を抱えながら悲劇的な末路を辿った日本神話のスーパーヒーロー、倭建命をご紹介します!
忙しい人はコチラから本編にすっ飛びじゃ
この記事は、以下のような方に向けて書いています。
- 日本神話にちょっと興味がある人
- 日本神話に登場する神さまのことをざっくり知りたい人
- とりあえず誰かにどや顔でうんちく話をしたい人
- 日本神話に登場する「倭建命」について少し詳しくなります。
- あなたのエセ教養人レベルが1アップします。
そもそも「日本神話」って何?
「日本神話」とは、ざっくり言うと「日本ってどうやって生まれたの?」を説明してくれる物語です。
原初の神々や日本列島の誕生、個性豊かな神さまが活躍する冒険譚や、彼らの血を引く天皇たちの物語が情緒豊かに描かれています。
現代の私たちが知る「日本神話」の内容は、『古事記』と『日本書紀』という2冊の歴史書が元になっています。
これらは第四十代天武天皇の立案で編纂が開始され、それぞれ奈良時代のはじめに完成しました。
国家事業として作られた以上、政治的な色合いがあることは否めませんが、堅苦しくて小難しいかと思ったらそれは大間違い。
強烈な個性を持つ神々がやりたい放題で引き起こすトラブルや恋愛模様は、あなたをすぐに夢中にさせることでしょう。
「日本神話」の全体像は、以下で解説しているよ!
さぁ、あなたも情緒あふれる八百万の神々が住まう世界に、ともに足を踏み入れてみましょう。
倭建命ってどんな人物?
倭建命(以下、ヤマトタケル)がどんな人物なのか、さっそく見ていきましょう。
いくぜっ!!
簡易プロフィール
正式名称 | 倭建命 Yamatotakerunomikoto |
---|---|
別称 | 日本武尊 小碓命 小碓尊 倭男具那命 日本童男 |
神格 | 武神 農業の神 |
性別 | 男性 |
勢力 | 天皇家 |
親 | 父:第十二代景行天皇 母:針間之伊那毘能大郎女 |
兄弟姉妹 | 櫛角別王 大碓命 倭根子命 神櫛王 |
配偶者 | 布多遅能伊理毘売命 美夜受比売 大吉備建比売 弟橘比売命 玖々麻毛理比売 布多遅比売 一妻(名称不明) |
子 | 第十四代仲哀天皇 布忍入姫命 稚武王 建貝児王 十城別王 若建王 足鏡別王 稲依別王 息長田別王 |
神徳(ご利益) | ・国土安穏 ・五穀豊穣 ・商売繁盛 ・出世 ・開運招福 ・除災 ・厄除け ・交通安全 ・試験合格 ・縁結び ・金運など |
神社 | 熱田神宮 大鳥大社ほか ※別途詳述 |
誕生と家族
ヤマトタケルは日本神話に登場する武神で、今日でも非常に高い人気を誇るスーパーヒーローです。
彼は第十二代景行天皇と針間之伊那毘能大郎女の間に第三皇子として生まれた高貴な青年で、兄には櫛角別王と大碓命が、弟には倭根子命と神櫛王がいます。
『日本書紀』及び『先代旧事本紀』には、
大碓とヤマトタケルの2人のみが双子として登場しておるぞい
彼が「倭建命」および「日本武尊」と呼称されるようになるのは、実際にはもっと後の話です。
彼の本来の名前は「小碓命」といいますが、本記事では分かりやすさを重視して、一括で「ヤマトタケル」と表記しています。
高貴な身分であるうえに神話でも大活躍を果たすヤマトタケル、そんな彼には当然たくさんの妻がおり、同様に数多くの子をもうけています。
ヤマトタケルの家族をざっくりまとめているよ!
妻 | 子 |
---|---|
布多遅能伊理毘売命 | 第十四代仲哀天皇 |
布忍入姫命 | |
稚武王 | |
美夜受比売 | – |
大吉備建比売 | 建貝児王 |
十城別王 | |
弟橘比売命 | 若建王 |
玖々麻毛理比売 | 足鏡別王 |
布多遅比売 | 稲依別王 |
一妻(名称不明) ※『先代旧事本紀』では「橘媛」 | 息長田別王 |
英雄何とやら…
ほんとに子だくさんね
バイタリティの塊じゃ!!
名前の由来
ヤマトタケルの正式名称である倭建命には、どのような意味が込められているのでしょうか。
一般には、
- 「倭」及び「日本」は大和国(奈良県)を指し、「建」及び「武」は「猛々しい」の意で、彼が「大和国の猛々しい男」であることを示す
といったことが言われているようです。
うん、でしょうね!
他に言う事は何もないぜっ!!
倭建命の活躍シーン
ヤマトタケルの活躍を見てみよう!
勘違いか思い込みで実兄の命を奪い、父に疎まれて遠征に行かされる【旅のはじまり】
ヤマトタケルは、第十二代景行天皇の御代に登場します。
天皇には合わせて80人以上の子どもがいましたが、そのうちの3名を日嗣の御子(天皇の位を受け継ぐ予定の御子)として側に置き、他の子どもたちは諸国に送り出したとされています。
若帯日子命(後の第十三代成務天皇)と五百木之入日子命に続く、選ばれし3名のうちの1人が今回の主人公、ヤマトタケルです。
※この時点での幼名は「小碓命」
ヤマトタケルはある日、父・景行天皇に呼び出されて、彼の兄である大碓命について尋ねられます。
お前の兄ぃは最近、朝夕の食膳にも出て来ん
お前が行って、「ねぎ教え覚ませ」て来いやぁ
合点承知の助!
古代の朝廷において、朝夕の食事を天皇と同じ席についてとることは、恭順の意を示す大切なお作法とされていました。
たしかにこれは重大なマナー違反、ヤマトタケルは、兄・大碓に事情を聴いてみる事にします。
ちなみに、この時景行天皇が発した「ねぎ」という言葉は、「労い」「慰労」または「丁寧に」といった意味を持ちます。
つまり、天皇はヤマトタケルに対して、兄をしっかり慰撫して教え諭してくるよう命じたことになります。
普通なら言われた通りのことをして終わるだけですが、そこは神話の主人公。
ヤマトタケルは父の命令を盛大に曲解し、物語の発端となる、とんでもない悲劇を引き起こすことになります。
そんなこんなで大碓のもとを訪ねたヤマトタケル、彼が兄に事情を問うと、概ね以下のような経緯があったそうな。
実はのぅ…
あるとき景行天皇は、美濃国(岐阜県)に住む兄比売と弟比売の姉妹がとても美しいという噂を聞きつけ、彼女らを妻に迎えようと画策します。
そこで使いに出されることになったのが大碓、彼は姉妹を迎えに現地へと向かいました。
あんだけ嫁も子もおってまーだ欲しいんかい…
どんなバイタリティやねん…
父親の新しい妻を迎えに行くという、なんともやる気の出ない仕事にうんざり気分の大碓ですが、件の姉妹を実際に見た彼は、別の方向にそのやる気を滾らせます。
聞いていた以上に美しい兄比売と弟比売に一目惚れしてしまった彼は、なんと父の勅命を握りつぶし、自身が姉妹と契りを結んでしまったのです。
さらに大碓は天皇の妻候補を横取りしただけでなく、その身代わりとして、よく似た別の姉妹を父親に差し出したとのこと。
どうやらそれが気まずいやら引け目に感じるやらで、兄は食事の席にめっきりと顔を出さなくなった、という事のようです。
いやぁ~、さすがに絶対バレてる気がするって~…
でもよく似とるんなら、その姉妹も美しいんやろ?
そやけど、親父その子らには一切手ぇ出しとらんのよ…
ほ~ん…まぁ事情は分かったわ
それから5日ほど経っても、相も変わらず食事の席に姿を見せない大碓に、さすがの景行天皇も業を煮やします。
彼は改めてヤマトタケルを呼び出し、兄の件がどうなったのか問い詰めました。
例の「ねぎ」教えるの件、どうなっとんのかい!
え?
もうとっくに「ねぎ」りましたぜ?
そりゃあもう派手に「ねぎ」り倒したりましたわ!
わっはっは!
…?
じゃあ、あれがここにおらんのはどういうワケじゃい…?
ヤマトタケルから詳しい事情を聞いた景行天皇の顔からは、瞬く間に血の気が失せていきました。
何と彼は、兄・大碓が厠(=トイレ)に入ったのを見計らって背後から襲撃し、滅多打ちにして身体をバラバラに引き裂いたうえ、薦に包んで裏庭に投げ捨ててしまったというのです。
だって父上、「ねぎ」って来い言いましたやん…?
(怖っっっっっっわ!!!!!)
(マイソンながら、こいつヤバ過ぎるでしょ…)
若干16歳の息子に異常な残虐性と凶暴性の片鱗を見た景行天皇は、次第にヤマトタケルを恐れ疎ましく思うようになり、あるとき彼にこんな命令を下します。
西の方に熊曾建とかいう兄弟がおってのぅ
そいつらがわしらの言う事聞きよらんのじゃ
お前さん、ちょっと行ってシバいて来いや
(そして、もう戻って来るな…)
合点承知の助!
父の思惑を知らないヤマトタケルは、自身の能力が認められたのだと素直に大喜び。
彼は意気揚々と出立し、伊勢国(三重県)に住む叔母の倭比売命から巫女の衣装と短刀を授かると、一路九州に向けて歩を進めていきました。
怖っわ!!
序盤からサイコパス全開じゃない!!
娘の横取りを王権への反逆と捉え、
大碓を討伐の対象と見なす説も存在するぞい
さー!ガンガン進んでいこーっ!!
女装して宴に潜入!華麗にバックスタブを決めて熊曾を平定する【VS.熊曾建】
西に向けて旅を続けたヤマトタケルは無事に九州の地に上陸し、現在の熊本県と鹿児島県付近にあたる、熊曾の勢力圏内へと入ります。
彼はさっそく敵陣の視察にあたりますが、さすがはこの一帯を支配する熊曾建、彼らが住む館の周辺には数多くの軍勢が守備についており、単独では手の出しようがありません。
その一方、敵は新たな家屋の建築も進めているらしく、もうじき行われる新室祝いの準備で忙しくしており、不特定多数の人々が領内に出入りしている様子。
ほ~ん、これは使えるかもわからんね!
ヤマトタケルはその祝宴の日を待ち、叔母の倭比売からもらい受けた衣装を身にまとって女装します。
こうして彼は、給仕のために出勤してきた女性たちに紛れて、邸内への侵入にまんまと成功しました。
異常な凶暴性をもつとはいえ天皇家の御子であるヤマトタケル、その育ちの良さは本物で、彼の立ち振る舞いから滲み出る気品は、すぐに熊曾建兄弟の目に留まります。
これ、そこの可愛いの
こっちに来いや
何と品の良い女子じゃぁ~
彼は兄弟の間に座らされ、幸運なことに、いとも簡単に敵の懐に入り込むことが出来ました。
それからしばらくは盛んに酒が酌み交わされ、祝宴の盛り上がりは最高潮を迎えます。
ヤマトタケルは宴もたけなわとなった頃合いを見計らい、同じく倭比売から授かった短刀を鞘から抜くと、まずは兄の胸を一息に貫きました。
グフゥツ…?
声を上げる間もなく倒れ込む兄を見た弟は、恐れをなして逃げ出そうとしますが、ヤマトタケルはすかさず彼を捕えてその尻に刃を突き立てます。
もはやこれまで、敗北を悟った熊曾建・弟は、自分たちの命を奪う謎の人物の正体を知りたいと思いました。
お、おどれ…
どこの回し者じゃい…
わしは景行天皇の皇子・倭男具那命!
朝廷にまつろわぬ貴様らを討伐しに来たのじゃ!!
ここら一帯にはわしらより強い者はおらん…
大和国(奈良県)にはとんでもないバケモンがおるんじゃのう…
今後はわしらの名を取って、
倭建御子とでも名乗ったらえぇ…
なるほどね、いただきっ!!
熊曾建・弟が必要なことを言い終えたとみたヤマトタケルは、彼の身体をいともたやすく斬り裂いてしまいました。
これまで正式には「小碓」や「倭男具那」の名で呼ばれてきた彼ですが、この場面でついに、古代日本に燦然と輝く「ヤマトタケル」という名称が誕生したのです。
ヤマトタケルの名は敵から贈られたものだったのね!
古代において、敵に名を献上することは
服属を意味していたのじゃ
しかし結構トリッキーな戦い方をするものだね
こうして見事熊曾を平定したヤマトタケルは、九州の地をあとにして、ようやく帰路に就くことが出来ました。
さー!ガンガン戻っていこーっ!!
帰りの道すがら地方の神々を叩き潰し、調子に乗ってるヤツを騙し討ちで屠る【VS.出雲建】
熊曾建討伐の使命を無事に果たしたヤマトタケルですが、彼は直接大和国(奈良県)には戻らず、日本海側の出雲国(島根県)を経由して地元に帰ることにしました。
他にもなんか手土産があれば、父上も喜ぶやろ!!
ヤマトタケルはその道中においても、山の神さまや河の神さま、海峡の神さまなど、朝廷に従わぬ神々を次々にシバきあげて平定・帰順させていきます。
地方の神々からすれば迷惑極まりない暴力の台風のような彼ですが、その圧倒的な強さの前にほとんどの者が膝を屈しました。
そんな折、出雲国(島根県)に入ったヤマトタケルはこんな噂を耳にします。
(出雲建とかいう者がこの辺で調子に乗っとる…?)
(そらきっちり〆て帰らんと、さて、どうするかのう…?)
またも計略をめぐらせ始めたヤマトタケル、彼は出雲建に正面から勝負を挑むのではなく、まずは何食わぬ顔をして友人として近づくことにしたのです。
もうすでになんか怖いんですけど
ふっふっふっ…
特に疑われるでもなく出雲建と懇意になったヤマトタケルは、ある日彼にこんな提案をします。
やぁ我が友よ!
こう暑くてはかなわん、共に水浴びにでも行かないか!
もちろんだマイフレンド!
さっそく向かおうではないか!
連れ立って肥河(斐伊川:島根県東部~鳥取県西部)を訪れた2人は、沐浴を行って心身を清めますが、先に河からあがったヤマトタケルがこんなことを言い出しました。
なぁ友よ!
我らの友情の証に互いの太刀を交換し、
軽く手合わせしようではないか!
もちろんだ盟友よ!
受けて立とう!
ヤマトタケルは出雲建の太刀をぬらりと抜くと、大上段に構えて試合に備えます。
その一方、出雲建は何やらまごついており、うまく刀を抜けずにいるようです。
それもそのはず、ヤマトタケルが彼に渡した太刀は、いちいの木で精巧に作られた偽物で、つまり単なる木刀だったのです。
出雲建ぅ!!
その命もろたでぇぇぇ!!!
キィエェェェェェェェィィィ!!!!!
うぎゃぁ~
なんとヤマトタケルは、慌てる出雲建に一方的に襲いかかり、清々しいまでの騙し討ちで彼を一刀のもとに斬り伏せてしまいました。
友になれたと…
思ったのに…バタッ
偽りとはいえ、今日まで友人として過ごしてきた出雲建の亡骸を見下ろすヤマトタケルは、おもむろにこんな歌を詠います。
やつめさす
出雲建が
佩ける太刀
黒葛多纏き
さ身無しにあはれ
(意)あっれれ~?おっかしいなぁ~?出雲建君の太刀、見た目は立派なのに肝心の刀身が無いぞぉ~?
無情にも程がある和歌を詠んだヤマトタケルは、数々の副産物を手土産に、一路大和国(奈良県)へと戻ります。
精一杯オブラートに包んで表現するわね…
とんっでもないク〇野郎じゃねぇかっ!!!
現代の価値観で神話を裁いてはいかんぞい
現代人である私たちの感覚からすると、とても主人公とは思えない卑劣な外道っぷりを発揮しているヤマトタケル。
しかし現実の古代世界においては、たとえ智謀や計略を駆使してでも、とにかく敵に勝利することが英雄の条件とされていたのも事実です。
当時は勝ち方自体はたいして重視されず、どんな手を使ってでも勝利して、最後に立っていた者だけが英雄として称えられたのです。
わしの時代では、これがジャスティスだったから!!
西征から帰ったら東征を命じられ、さすがに父親の意図を察する【VS.相武国造】
熊曾建ばかりか出雲建までも討ち取ったヤマトタケルは、堂々たる態度で大和国(奈良県)に凱旋し、父・景行天皇に事の子細を報告しました。
(お侍さまの戦い方じゃない…)
それなりの出迎えや労いの言葉を期待したヤマトタケルでしたが、そんな彼を待ち受けていたのは、容赦のない過酷な勅命でした。
東方にも12ほどまつろわぬ者どもがおってのぅ…
そいつらどうにかしてきてくれや…
合点承知の…すけ…?
景行天皇は、長い西征の旅から生還した息子を褒めて遣わすこともなく、その疲れも癒えぬうちに東国への遠征を命じたのです。
さらに、東征にあたって朝廷から支給されたのは、御鉏友耳建日子という名のお伴が1人に、柊で出来た長い矛が1本だけ。
頭のネジがほとんど抜けたヤマトタケルにも、父・景行天皇の意図が何となく読めました。
彼は再び、伊勢国(三重県)に住む叔母の倭比売のもとを訪れ、今回ばかりはさすがに愚痴をこぼします。
ちくしょう…
お父はワシに、死ね言うとるんじゃ…
まぁ甥よ、ええもんやるから
これで気張ってきんさいな
倭比売は落ち込むヤマトタケルに、三種の神器のひとつに数えられる霊剣・草薙剣と、何かが入った小袋を授けました。
この袋は、ガチで万一の時にだけ開けるんやぞ?
帰ってきたド〇えもんかな?
ちなみに、この時ヤマトタケルが受け取った草薙剣は、建速須佐之男命が八俣遠呂智を退治した際に手に入れた、あの草薙剣です。
あの草薙剣はコチラ
納得したわけではないものの勅命は勅命、ヤマトタケルは東方に向けて旅立ちます。
その途中、尾張国(愛知県)に立ち寄った彼は、その地の国造の祖となる女神・美夜受比売と出会いました。
2人は意気投合して結婚も考えますが、今のヤマトタケルは東征の使命を帯びた身、彼らは婚約だけ交わして一旦別れます。
ヤマトタケルはそれからも、荒ぶる神々や朝廷に従わない人々をボコボコにしてまわり、東に向けてグイグイと進んでいきました。
彼らが相模国(神奈川県)に入った時のこと、現地の国造がこんな相談を持ち掛けてきました。
実は荒々しく恐ろしい神が住む沼がありましてのぅ…
先生のお力で、どうにかなりませんですやろか…
おっし、任せとき!!
ヤマトタケルが件の沼に赴くために野原に入ると、突如として、四方を炎に囲まれてしまいます。
火を放ったのは先ほどの国造、ヤマトタケルの進撃を快く思わない勢力が、彼を罠に嵌めようとしたのです。
はっはっは~!
万事休すだなぁ若造め!!
事実大ピンチに陥ったヤマトタケルは、必死に打開策を考え、叔母の倭比売から授かった謎の袋を思い出します。
『ウソ8〇0』~!!
…じゃない、火打ち石かいな
あっ、なるほど!!
ヤマトタケルは、草薙剣で草を薙ぎ払い身の回りから燃えるものを失くすと、火打ち石で火を起こし、向かい火をつけました。
こちら側からも草を燃やすことによって、迫りくる炎の勢いを弱めることが出来るのです。
全身煤だらけになりながらも無事に脱出したヤマトタケルは、卑劣な奸計を巡らせた国造の一族をすべて斬り伏せ、火を放って焼いてしまいました。
人に卑劣とか言えた口じゃないけどね
この出来事により、その地は焼津(静岡県焼津市)と呼ばれるようになったと伝えられています。
※このエピソードの舞台は、正確には駿河国(静岡県)だったとも言われています。
明らかに時系列はずれとるが、「草薙剣」の名称は、この逸話に由来すると言われておるぞい
ずっと思ってたんだけど…
的確なお助けアイテムをくれる倭比売って何者なの?
彼女は、伊勢神宮の縁起にも関わるほどの
能力を持つ巫女だったとされているよ!
予言者的な力があったのかもね!
九死に一生を得たヤマトタケルは、へこたれることなく東に向けての旅を続けます。
さー!ガンガン行くぞーー!!
身を挺した妻のおかげで荒ぶる海神が鎮まり、道が開ける【東征完了】
一行が相模国(神奈川県)を出て、上総国(千葉県)に渡る走水海(浦賀水道)に差し掛かったころ、次なるトラブルが発生しました。
ヤマトタケルはこの狭く潮流の早い海峡を渡ろうとしますが、その日は嵐が吹き波が荒れ、船は同じところをぐるぐると回るばかりで一向に先へと進まないのです。
う~ん、この辺の海神が怒り狂っとるのう…
どうしたものか…
彼が対応に困っていると、旅に同伴していたヤマトタケルの妻・弟橘比売命が一歩進み出てこう言います。
わたくしが海神の妻となり、
その怒りを鎮めてご覧にいれましょう…
ぎょぎょっ!!?
古来より、荒れる海を鎮めるためには、生贄を捧げるのが一番だと信じられてきました。
海神のもとに嫁ぐという事はつまりそういう事であり、弟橘比売は、自ら人身御供となることを買って出たのです。
いくら使命を果たすためとはいえ、愛する妻をみすみす死なせるなど、簡単に受け入れられることではありません。
そんなヤマトタケルの心情を察してか、弟橘比売はこう付け加えます。
あなたには、東征を果たすという大義がある
その成功を景行天皇に報告する責務があるのですよ
ぐぬぬ…
背に腹は代えられぬと判断したヤマトタケルは、海の上に何枚もの敷物を浮かべると、その上に妻を降ろします。
弟橘比売は夫に別れを告げて入水する際、最期にこのような歌を詠みました。
さねさし
相武の小野に
燃ゆる火の
火中に立ちて
問ひし君はも
(意)かつて相模の燃え盛る炎の中で、あなたは私を救ってくださいましたね
しばらくして彼女の姿が波間から消えると、走水海の波は自然と穏やかになり、一行は無事に海峡を渡る事が出来たのです。
ヤマトタケル編にしてはまともに
切ない話のところ申し訳ないのだけど…
弟橘比売とはどこで出会ったの?
実は本文にも記されておらんが、歌からも分かるように、おそらく前回の焼津編で契りを結んだと考えられておるぞい
助けてくれた恩返し的な意味もあるようだね!
それから7日後、弟橘比売が髪に挿していた櫛が、ヤマトタケルのもとに流れ着きました。
櫛には持ち主の魂が宿るとも考えられていたので、彼はそれを妻の霊代(霊の代わりとなるもの)とし、弟橘比売のために立派な墓を築きます。
妻の犠牲のもとにやっと拓けたこの道、中途半端は許されないと決意を新たにしたヤマトタケルは、気合十分に上総国(千葉県)へと入りました。
それからの彼はまさに破竹の勢い、荒れ狂う蝦夷をことごとくぶちのめして平定し、朝廷に従わない山や川の荒ぶる神々をも次々と帰順させていきます。
一行が足柄山(神奈川県箱根)の坂の上に登った折、ヤマトタケルは、ふと走水海の方向に目を向けました。
自ら犠牲となった弟橘比売のことを思い出したのでしょう、彼はぽつりと、こうつぶやきます。
吾妻はや…
(ああ、我が妻よ…)
この逸話が由来となって、足柄より東の方を「東」と呼ぶようになったのだそうです。
何かこのあたりのヤマトタケルは、
やけに人間味がある感じがするわね
さまざまな地方伝承がひとつに集約された結果、
ヤマトタケルなる人物が生まれたというのが定説じゃ
多面的な性格を持っとるもの無理なかろう
ヤマトタケルはそれからも手を休めることなく、以下のルートで諸国をまわり、まつろわぬ者たちを片っ端から平定・帰順させていきました。
- 甲斐国(山梨県)
- 信濃国(長野県)
- 美濃国(岐阜県)
もはや我らに逆らう者なし、ついに東国の平定を完了したヤマトタケルは、意気揚々と帰路につきます。
その道すがら、彼はかつて結婚の約束をした美夜受比売が待つ、尾張国(愛知県)に向かうことにしました。
さー!ゴンゴン戻ろーっ!!
【最終回】慢心?驕り?英雄は志半ばで倒れ白鳥となって飛び去る【辞世の歌ラッシュ】
東征の使命を果たしたヤマトタケルは、堂々たる面持ちで尾張国(愛知県)へと帰還し、婚約者である美夜受比売のもとを訪ねました。
2人は約束通り結婚し、しばらくは尾張の地での新婚生活を楽しみます。
ある日ヤマトタケルは、伊吹山(岐阜県・滋賀県にまたがる山)に棲むという、荒ぶる神を平定するために出立します。
しかしこの時の彼は、
片田舎の荒神なんぞ、素手でぶっ飛ばしたろうやないかぃ!!
なんせわし、西征と東征の英雄ぞ…?
と嘯き、美夜受比売の心配もよそに、伝家の宝刀・草薙剣を家に置いたまま出かけてしまいました。
しばらく後、伊吹山の麓をズカズカと進むヤマトタケルの近くに、牛のように大きな白い猪が現れます。
ほほ、何やら面妖な畜生じゃ
きっと山の神の遣いに違いない
今は見逃して、後で屠ってぼたん鍋にでもしてくれよう!
かっかっかっ!
(ブチッ…)
ヤマトタケルには人(神)を見る目があまりなかったのか、その白い猪こそが伊吹山の神であることを見抜けませんでした。
黙れ小僧!!!
侮辱されたことに怒った伊吹山の神は、その強い霊力で祟りを起こし、大粒の雹を激しく降らせてヤマトタケルの身体を打ち据えます。
ぐ、ぐぇぇぇ…
正常な判断力をほとんど失うほどに惑わされたヤマトタケル、やっと正気を取り戻した時には、彼の身体はすっかり衰弱していました。
杖にすがるようにしてやっと歩けるような状況で、ついに弱気になった彼の足は、自然と故郷の大和国(奈良県)の方に向けられます。
あぁ~ヤベェ、なんちゅうこっちゃ…
伊吹山の神の祟りによって、これまでの無双っぷりからは想像できない程に、病気がちとなってしまったヤマトタケル。
それでも彼は、力を振り絞って故郷へと歩を進めました。
途中で立ち寄った場所では、自由に歩けないことを嘆いたヤマトタケルが
まったくこのあたりは「たぎたぎしい」ね…
※道がでこぼこして歩きにくい
と愚痴をこぼしたことから、その地は当芸野(岐阜県養老郡養老町)と呼ばれるようになりました。
また、彼が杖をついてよろよろと登った坂は、杖衝坂(三重県四日市市)と名付けられます。
日に日に弱っていく身体と悪化する病状を押して旅を続けるヤマトタケルは、能煩野(三重県鈴鹿市付近)にたどり着いた際、故郷を偲んでこんな歌を詠みました。
倭は 国のまほろば
たたなづく 青垣
山隠れる
倭しうるはし
(意)重なり合い、青い垣を巡らしたような山々に囲まれた大和国は本当に美しい
ヤマトタケルは自身の死期を悟ったのか、はたまた既に走馬灯が見え始めていたのか、自身の感情を吐露するような内容の歌を次々と詠みます。
命の 全けむ人は
疊薦
平群の山の
熊白檮が葉を
髻華に挿せ その子
(意)命の満ち溢れている人たちは、平群の山の樫の葉を髪に挿して、生命を謳歌すると良いよ
愛しけやし
我家の方よ
雲居立ち来も
(意)懐かしい我が家の方から、雲が湧き昇っているなぁ
ここでヤマトタケルの病状は急激に悪化し、ついに彼は人生最期の歌を詠みました。
嬢子の 床の辺に
我が置きし
剣の太刀
その太刀はや
(意)ああ、美夜受比売のところに置いてきたわしの草薙剣よ、ああ、あの太刀よ…
そこはせめて美夜受比売の方を思い出してあげて欲しかったわ
これ、今はそっとしておきなさい
巫女の加護を受けた霊剣・草薙剣を置いて出かけてしまったばかりに、山の神の祟りを受けて瀕死の状態になってしまった…
ヤマトタケルは、強い悔恨と絶望を感じながら息を引き取りました。
ただちに早馬が大和国(奈良県)へと送られ、景行天皇たちに悲報が伝えられます。
訃報を聞いたヤマトタケルの妻子たちは急ぎ現地に駆け付け、すぐさま彼の墓を造営し、厳粛な葬儀を執り行いました。
残された者たちが泣きながら歌を詠むと、ヤマトタケルの霊魂は白鳥となり、海辺へと飛んで行きます。
妻子たちは足の痛さも忘れてその後を追いますが、白鳥は河内国の志磯(大阪府柏原市)に一旦留まったのを最後に、天空の彼方へと飛び去ってしまいました。
それから彼がどこに行ったのか、誰も知りません。
なんか無茶苦茶なやつだったけど…
父親に愛されるために頑張ったのかなと思うと…
なかなか切ない話よね~
手の付けられない荒々しさはあったけど、
根は純粋だったとも言えるよね!
不運な最期を迎える主人公
いわゆる「判官贔屓」というやつで、
古来より日本人に好まれる物語のパターンじゃな
さすがワシ、引き際も芸術的じゃ!!
長かったけど、最後まで読んでくれてサンキューじゃい!!
今回ご紹介したヤマトタケルの物語は、基本的には『古事記』に準拠したものとなっています。
もちろん『日本書紀』にも彼の冒険譚は描かれているのですが、実はその内容が『古事記』とはかなり異なっているのです。
ざっくりと違いをまとめてみるぞい!
比較ポインツ | 『古事記』 | 『日本書紀』 |
---|---|---|
ヤマトタケルの性格 | 兄・大碓命をバラバラにしてしまう凶暴性をもつ | 兄の命を奪うシーンは描かれず、残酷な側面のない勇敢な少年として登場 |
父・景行天皇の性格 | 自分は大和から一切動かず、ろくな装備も資金も与えずに息子を死地に追いやる、まるでド〇クエの王様 | 自分から積極的に遠征に出ており、熊曾建討伐も自身の軍団で成し遂げた※ヤマトタケル派遣は熊曾の第二次反乱の折に行われる |
東征のきっかけ | 父に疎まれたことから、西征の疲れを癒す間もなく出陣の勅命を受ける | 東征を命じられ怖気づいた兄に代って自ら志願し、休むことなく東方に旅立つ |
ヤマトタケル逝去に対する父の反応 | 特になし | 息子の死を大いに悲しみ、彼の事績を惜しんで東国への行幸に出る |
このほか『日本書紀』では、ヤマトタケルが各地を平定していった流れがより詳細に説明されています。
そして最後には病に侵され、伊勢国(三重県)の能煩野で命を落とすところで、共通のラストシーンに着地しているのです。
『日本書紀』では、より分かりやすい
王道モノのヒーローとして描かれているわね
『日本書紀』が海外向けであることを考えると、天皇もしっかり活躍していないと格好が付かないんだろうね!
天皇家の身内にヤバイ奴がおるのも、
政治的には良くないじゃろうからの
君たちはどっちの「ワシ」が好きだったかな!?
– 完 –
倭建命を祀る神社ガイド
ヤマトタケルは、いくつかの神社で祀られています。
代表的な場所をご紹介するわね!
- 熱田神宮
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愛知県名古屋市熱田区神宮
- 大鳥大社
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大阪府堺市西区鳳北町
- 焼津神社
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岡県焼津市焼津
- 三峯神社
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埼玉県秩父市三峰
- 建部大社
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滋賀県大津市神領
- 氣比神宮
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福井県敦賀市曙町
- 十和田神社
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青森県十和田市奥瀬十和田湖畔休屋
- 妙義神社
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群馬県富岡市妙義町妙義
- 金鑚神社
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埼玉県児玉郡神川町字二ノ宮
- 加佐登神社
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三重県鈴鹿市加佐登町
- 吉田神社
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茨城県水戸市宮内町
- 酒折宮
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山梨県甲府市酒折
- 妙義神社
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東京都豊島区駒込
- 白鳥神社
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大阪府羽曳野市古市
- 走水神社
-
神奈川県横須賀市走水
などです!
おわりに
今回は、日本神話に登場する倭建命について解説しました。
日本神話屈指のスーパーヒーローだけあって、
とんでもないボリュームのエピソードだったわね
現代の感覚からすると斜め下方向にぶっ飛んでいるのも、
神話の物語の魅力だよね!
パパトトブログ-日本神話篇-では、私たちの祖国に伝わる魅力的な神々や彼らの物語をご紹介していきます。
神さま個別のプロフィール紹介や神話の名場面をストーリー調で解説など、難しい言葉は出来るだけ使わずに、あらゆる角度から楽しんでもらえるようにしようと考えています。
これからも「日本神話」の魅力をどんどんご紹介してきますので、良ければまた読んでもらえると嬉しいです!
また来てね!
しーゆーあげん!
参考文献
- 倉野憲司校注 『古事記』 岩波文庫 2010年
- 島崎晋[監修] 日本博学倶楽部[著] 『日本の「神話」と「古代史」がよくわかる本』 PHP文庫 2010年
- 由良弥生 『眠れないほど面白い『古事記』』 王様文庫 2014年
- 由良弥生 『読めば読むほど面白い『古事記』75の神社と神さまの物語』 王様文庫 2015年
- 歴史雑学研究倶楽部 『世界の神話がわかる本』 Gakken 2010年
- 宮崎市神話・観光ガイドボランティア協議会編集 『ひむか神話伝説 全212話』 鉱脈社 2015年
- 中村圭志 『図解 世界5大神話入門』 ディスカヴァー・トゥエンティワン 2020年
- かみゆ歴史編集部 『マンガ面白いほどよくわかる!古事記』 西東社 2017年
- 戸部民夫 『「日本の神様」がよくわかる本』 PHP文庫 2007年
- 三浦佑之 『あらすじで読み解く 古事記神話』 文藝春秋 2013年
- 國學院大學 「古典文化学」事業:https://kojiki.kokugakuin.ac.jp/research/
- 茂木貞純監修『日本の神様ご利益事典』だいわ文庫 2018年
- 武光誠『知っておきたい日本の神様』角川ソフィア文庫 2005年
- 阿部正路監修『日本の神様を知る事典』日本文芸社 1987年
他…
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