【説明不要!日本屈指の悲劇の大英雄!】倭建命-ヤマトタケルノミコト-【日本神話】

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倭建命
とと(父)

こんにちは!
今回は日本神話より倭建命やまとたけるのみことを紹介するよ!

ことと

倭建命やまとたけるのみこと
それってあの有名なヤマトタケルのこと?

とと(父)

そう、彼は日本神話に登場する軍神だよ!
その悲劇的な物語から、現代でも人気が高い人物なんだ!

ヒヒ

ざっくり言うと、大和王権による地方勢力平定の物語じゃな

とと(父)

ではさっそくいってみよう!

このシリーズでは、忙しいけど日本神話についてサクっと理解したいという方向けに、「かんたんわかりやすい」がテーマの神々の解説記事をお送りしています。

超個性的な八百万の神々が織りなす、笑いあり、涙ありのトンデモぶっ飛びストーリーが、あなたに新たなエンターテイメントとの出会いをお約束します。

人間味溢れる自由奔放な神々の色彩豊かで魅力的な物語に、ぜひあなたも触れてみてくださいね。

今回は、圧倒的な武力を背景に次々と地方を制圧した偉大な戦士にして、人間的な苦悩を抱えながら悲劇的な末路を辿った日本神話のスーパーヒーロー、倭建命やまとたけるのみことをご紹介します!

ヒヒ

忙しい人はコチラから本編にすっ飛びじゃ

この記事は、以下のような方に向けて書いています。

  • 日本神話にちょっと興味がある人
  • 日本神話に登場する神さまのことをざっくり知りたい人
  • とりあえず誰かにどや顔でうんちく話をしたい人
この記事を読むあなたのメリット
  • 日本神話に登場する「倭建命やまとたけるのみこと」について少し詳しくなります。
  • あなたのエセ教養人レベルが1アップします。
目次

そもそも「日本神話」って何?

日本神話」とは、ざっくり言うと「日本ってどうやって生まれたの?」を説明してくれる物語です。

原初の神々や日本列島の誕生、個性豊かな神さまが活躍する冒険譚や、彼らの血を引く天皇たちの物語が情緒豊かに描かれています。

現代の私たちが知る「日本神話」の内容は、『古事記こじき』と『日本書紀にほんしょき』という2冊の歴史書が元になっています。

これらは第四十代天武てんむ天皇の立案で編纂が開始され、それぞれ奈良時代のはじめに完成しました。

国家事業として作られた以上、政治的な色合いがあることは否めませんが、堅苦しくて小難しいかと思ったらそれは大間違い

強烈な個性を持つ神々がやりたい放題で引き起こすトラブルや恋愛模様は、あなたをすぐに夢中にさせることでしょう。

とと(父)

日本神話」の全体像は、以下で解説しているよ!

枝年昌『岩戸神楽之起顕』1889年
枝年昌『岩戸神楽之起顕』1889年 PD

さぁ、あなたも情緒あふれる八百万やおよろずの神々が住まう世界に、ともに足を踏み入れてみましょう。

倭建命やまとたけるのみことってどんな人物?

倭建命やまとたけるのみこと(以下、ヤマトタケル)がどんな人物なのか、さっそく見ていきましょう。

ことと

いくぜっ!!

簡易プロフィール

正式名称倭建命やまとたけるのみこと
Yamatotakerunomikoto
別称日本武尊やまとたけるのみこと
小碓命おうすのみこと
小碓尊おうすのみこと
倭男具那命やまとおぐなのみこと
日本童男やまとおぐな
神格武神
農業の神
性別男性
勢力天皇家
父:第十二代景行けいこう天皇
母:針間之伊那毘能大郎女はりまのいなびのおおいらつめ
兄弟姉妹櫛角別王くしつぬわけのみこ
大碓命おおうすのみこと
倭根子命やまとねこのみこと
神櫛王かむくしのみこ
配偶者布多遅能伊理毘売命ふたじのいりびめのみこと
美夜受比売みやずひめ
大吉備建比売おおきびたけひめ
弟橘比売命おとたちばなひめのみこと
玖々麻毛理比売くくまもりひめ
布多遅比売ふたじひめ
一妻(名称不明)
第十四代仲哀ちゅうあい天皇
布忍入姫命ぬのしいりひめのみこと
稚武王わかたけるのみこ
建貝児王たてかいこのみこ
十城別王とおきわけのみこ
若建王わかたけのみこ
足鏡別王あしかがみわけのみこ
稲依別王いなよりわけのみこ
息長田別王おきながたわけのみこ
神徳(ご利益)・国土安穏
・五穀豊穣
・商売繁盛
・出世
・開運招福
・除災
・厄除け
・交通安全
・試験合格
・縁結び
・金運など
神社熱田神宮
大鳥大社ほか
※別途詳述

誕生と家族

ヤマトタケルは日本神話に登場する武神で、今日でも非常に高い人気を誇るスーパーヒーローです。

彼は第十二代景行けいこう天皇針間之伊那毘能大郎女はりまのいなびのおおいらつめの間に第三皇子として生まれた高貴な青年で、兄には櫛角別王くしつぬわけのみこ大碓命おおうすのみことが、弟には倭根子命やまとねこのみこと神櫛王かむくしのみこがいます。

ヒヒ

日本書紀』及び『先代旧事本紀せんだいくじほんぎ』には、
大碓おおうすヤマトタケルの2人のみが双子として登場しておるぞい

彼が「倭建命やまとたけるのみこと」および「日本武尊やまとたけるのみこと」と呼称されるようになるのは、実際にはもっと後の話です。

彼の本来の名前は「小碓命おうすのみこと」といいますが、本記事では分かりやすさを重視して、一括で「ヤマトタケル」と表記しています。

高貴な身分であるうえに神話でも大活躍を果たすヤマトタケル、そんな彼には当然たくさんの妻がおり、同様に数多くの子をもうけています。

とと(父)

ヤマトタケルの家族をざっくりまとめているよ!

スクロールできます
布多遅能伊理毘売命ふたじのいりびめのみこと第十四代仲哀ちゅうあい天皇
布忍入姫命ぬのしいりひめのみこと
稚武王わかたけるのみこ
美夜受比売みやずひめ
大吉備建比売おおきびたけひめ建貝児王たてかいこのみこ
十城別王とおきわけのみこ
弟橘比売命おとたちばなひめのみこと若建王わかたけのみこ
玖々麻毛理比売くくまもりひめ足鏡別王あしかがみわけのみこ
布多遅比売ふたじひめ稲依別王いなよりわけのみこ
一妻(名称不明)
※『先代旧事本紀せんだいくじほんぎ』では「橘媛たちばなひめ
息長田別王おきながたわけのみこ
ことと

英雄何とやら…
ほんとに子だくさんね

ヤマトタケル

バイタリティの塊じゃ!!

名前の由来

ヤマトタケルの正式名称である倭建命やまとたけるのみことには、どのような意味が込められているのでしょうか。

一般には、

  • やまと」及び「日本やまと」は大和国やまとのくに(奈良県)を指し、「たける」及び「たける」は「猛々たけだけしい」の意で、彼が「大和国やまとのくに猛々たけだけしい男」であることを示す

といったことが言われているようです。

日本刀のイメージ
ことと

うん、でしょうね!

ヤマトタケル

他に言う事は何もないぜっ!!

倭建命やまとたけるのみことの活躍シーン

とと(父)

ヤマトタケルの活躍を見てみよう!

勘違いか思い込みで実兄の命を奪い、父に疎まれて遠征に行かされる【旅のはじまり】

ヤマトタケルは、第十二代景行けいこう天皇御代みよに登場します。

天皇には合わせて80人以上の子どもがいましたが、そのうちの3名を日嗣ひつぎ御子みこ(天皇の位を受け継ぐ予定の御子みこ)として側に置き、他の子どもたちは諸国に送り出したとされています。

若帯日子命わかたらしひこのみこと(後の第十三代成務せいむ天皇)五百木之入日子命いほきのいりひこのみことに続く、選ばれし3名のうちの1人が今回の主人公、ヤマトタケルです。
※この時点での幼名は「小碓命おうすのみこと

ヤマトタケルはある日、父・景行けいこう天皇に呼び出されて、彼の兄である大碓命おおうすのみことについて尋ねられます。

景行天皇

お前の兄ぃは最近、朝夕の食膳にも出て来ん

景行天皇

お前が行って、「ねぎ教え覚ませ」て来いやぁ

ヤマトタケル

合点承知の助!

古代の朝廷において、朝夕の食事を天皇と同じ席についてとることは、恭順の意を示す大切なお作法とされていました。

たしかにこれは重大なマナー違反、ヤマトタケルは、兄・大碓おおうすに事情を聴いてみる事にします。

ちなみに、この時景行けいこう天皇が発した「ねぎ」という言葉は、「労い」「慰労」または「丁寧に」といった意味を持ちます。

つまり、天皇はヤマトタケルに対して、兄をしっかり慰撫いぶして教え諭してくるよう命じたことになります。

普通なら言われた通りのことをして終わるだけですが、そこは神話の主人公。

ヤマトタケルは父の命令を盛大に曲解し、物語の発端となる、とんでもない悲劇を引き起こすことになります。

野原のイメージ

そんなこんなで大碓おおうすのもとを訪ねたヤマトタケル、彼が兄に事情を問うと、概ね以下のような経緯いきさつがあったそうな。

オオウス

実はのぅ…

あるとき景行けいこう天皇は、美濃国みののくに(岐阜県)に住む兄比売えひめ弟比売おとひめの姉妹がとても美しいという噂を聞きつけ、彼女らを妻に迎えようと画策します。

そこで使いに出されることになったのが大碓おおうす、彼は姉妹を迎えに現地へと向かいました。

オオウス

あんだけ嫁も子もおってまーだ欲しいんかい…

オオウス

どんなバイタリティやねん…

父親の新しい妻を迎えに行くという、なんともやる気の出ない仕事にうんざり気分の大碓おおうすですが、件の姉妹を実際に見た彼は、別の方向にそのやる気をたぎらせます。

聞いていた以上に美しい兄比売えひめ弟比売おとひめに一目惚れしてしまった彼は、なんと父の勅命を握りつぶし、自身が姉妹と契りを結んでしまったのです。

さらに大碓おおうすは天皇の妻候補を横取りしただけでなく、その身代わりとして、よく似た別の姉妹を父親に差し出したとのこと。

どうやらそれが気まずいやら引け目に感じるやらで、兄は食事の席にめっきりと顔を出さなくなった、という事のようです。

オオウス

いやぁ~、さすがに絶対バレてる気がするって~…

ヤマトタケル

でもよく似とるんなら、その姉妹も美しいんやろ?

オオウス

そやけど、親父その子らには一切手ぇ出しとらんのよ…

ヤマトタケル

ほ~ん…まぁ事情は分かったわ

豪勢な和食のイメージ

それから5日ほど経っても、相も変わらず食事の席に姿を見せない大碓おおうすに、さすがの景行けいこう天皇も業を煮やします。

彼は改めてヤマトタケルを呼び出し、兄の件がどうなったのか問い詰めました。

景行天皇

例の「ねぎ」教えるの件、どうなっとんのかい!

ヤマトタケル

え?
もうとっくに「ねぎ」りましたぜ?

ヤマトタケル

そりゃあもう派手に「ねぎ」り倒したりましたわ!
わっはっは!

景行天皇

…?
じゃあ、あれがここにおらんのはどういうワケじゃい…?

ヤマトタケルから詳しい事情を聞いた景行けいこう天皇の顔からは、瞬く間に血の気が失せていきました。

何と彼は、兄・大碓おおうすかわや(=トイレ)に入ったのを見計らって背後から襲撃し、滅多打ちにして身体をバラバラに引き裂いたうえ、こもに包んで裏庭に投げ捨ててしまったというのです。

ヤマトタケル

だって父上、「ねぎ」って来い言いましたやん…?

景行天皇

(っっっっっっわ!!!!!)

景行天皇

(マイソンながら、こいつヤバ過ぎるでしょ…)

若干16歳の息子に異常な残虐性と凶暴性の片鱗を見た景行けいこう天皇は、次第にヤマトタケルを恐れ疎ましく思うようになり、あるとき彼にこんな命令を下します。

景行天皇

西の方に熊曾建くまそたけるとかいう兄弟がおってのぅ
そいつらがわしらの言う事聞きよらんのじゃ

景行天皇

お前さん、ちょっと行ってシバいて来いや

景行天皇

(そして、もう戻って来るな…)

ヤマトタケル

合点承知の助!

父の思惑を知らないヤマトタケルは、自身の能力が認められたのだと素直に大喜び。

彼は意気揚々と出立し、伊勢国いせのくに(三重県)に住む叔母の倭比売命やまとひめのみことから巫女みこの衣装と短刀を授かると、一路九州に向けて歩を進めていきました。

倭建命の旅路を示した図1
ことと

っわ!!
序盤からサイコパス全開じゃない!!

ヒヒ

娘の横取りを王権への反逆と捉え、
大碓おおうすを討伐の対象と見なす説も存在するぞい

ヤマトタケル

さー!ガンガン進んでいこーっ!!

女装して宴に潜入!華麗にバックスタブを決めて熊曾くまそを平定する【VS.熊曾建くまそたける

西に向けて旅を続けたヤマトタケルは無事に九州の地に上陸し、現在の熊本県と鹿児島県付近にあたる、熊曾くまその勢力圏内へと入ります。

彼はさっそく敵陣の視察にあたりますが、さすがはこの一帯を支配する熊曾建くまそたける、彼らが住む館の周辺には数多くの軍勢が守備についており、単独では手の出しようがありません。

その一方、敵は新たな家屋の建築も進めているらしく、もうじき行われる新室にいむろ祝いの準備で忙しくしており、不特定多数の人々が領内に出入りしている様子。

熊襲穴
熊曾建が住んだとされる熊襲穴
ヤマトタケル

ほ~ん、これは使えるかもわからんね!

ヤマトタケルはその祝宴の日を待ち、叔母の倭比売やまとひめからもらい受けた衣装を身にまとって女装します。

こうして彼は、給仕のために出勤してきた女性たちに紛れて、邸内への侵入にまんまと成功しました。

異常な凶暴性をもつとはいえ天皇家の御子みこであるヤマトタケル、その育ちの良さは本物で、彼の立ち振る舞いから滲み出る気品は、すぐに熊曾建くまそたける兄弟の目に留まります。

月岡芳年『女装する日本武尊』
月岡芳年『女装する日本武尊』 PD
クマソタケル・兄

これ、そこの可愛いの
こっちに来いや

クマソタケル・弟

何と品の良い女子じゃぁ~

彼は兄弟の間に座らされ、幸運なことに、いとも簡単に敵の懐に入り込むことが出来ました。

それからしばらくは盛んに酒が酌み交わされ、祝宴の盛り上がりは最高潮を迎えます。

月岡芳年『日本武尊と 川上梟帥』
月岡芳年『日本武尊と 川上梟帥』 PD

ヤマトタケルは宴もたけなわとなった頃合いを見計らい、同じく倭比売やまとひめから授かった短刀を鞘から抜くと、まずは兄の胸を一息に貫きました。

クマソタケル・兄

グフゥツ…?

声を上げる間もなく倒れ込む兄を見た弟は、恐れをなして逃げ出そうとしますが、ヤマトタケルはすかさず彼を捕えてその尻に刃を突き立てます。

もはやこれまで、敗北を悟った熊曾建くまそたける・弟は、自分たちの命を奪う謎の人物の正体を知りたいと思いました。

クマソタケル・弟

お、おどれ…
どこの回しもんじゃい…

ヤマトタケル

わしは景行けいこう天皇の皇子・倭男具那命やまとおぐなのみこと
朝廷にまつろわぬ貴様らを討伐しに来たのじゃ!!

クマソタケル・弟

ここら一帯にはわしらより強いもんはおらん…
大和国やまとのくに(奈良県)にはとんでもないバケモンがおるんじゃのう…

クマソタケル・弟

今後はわしらの名を取って、
倭建御子やまとたけるのみことでも名乗ったらえぇ…

ヤマトタケル

なるほどね、いただきっ!!

熊曾建くまそたける・弟が必要なことを言い終えたとみたヤマトタケルは、彼の身体をいともたやすく斬り裂いてしまいました。

これまで正式には「小碓おうす」や「倭男具那やまとおぐな」の名で呼ばれてきた彼ですが、この場面でついに、古代日本に燦然さんぜんと輝く「ヤマトタケル」という名称が誕生したのです。

ことと

ヤマトタケルの名は敵から贈られたものだったのね!

ヒヒ

古代において、敵に名を献上することは
服属を意味していたのじゃ

とと(父)

しかし結構トリッキーな戦い方をするものだね

こうして見事熊曾くまそを平定したヤマトタケルは、九州の地をあとにして、ようやく帰路に就くことが出来ました。

倭建命の旅路を示した図2
ヤマトタケル

さー!ガンガン戻っていこーっ!!

帰りの道すがら地方の神々を叩き潰し、調子に乗ってるヤツを騙し討ちでほふる【VS.出雲建いずもたける

熊曾建くまそたける討伐の使命を無事に果たしたヤマトタケルですが、彼は直接大和国やまとのくに(奈良県)には戻らず、日本海側の出雲国いずものくに(島根県)を経由して地元に帰ることにしました。

ヤマトタケル

他にもなんか手土産があれば、父上も喜ぶやろ!!

ヤマトタケルはその道中においても、山の神さまや河の神さま、海峡の神さまなど、朝廷に従わぬ神々を次々にシバきあげて平定・帰順させていきます。

地方の神々からすれば迷惑極まりない暴力の台風のような彼ですが、その圧倒的な強さの前にほとんどの者が膝を屈しました。

そんな折、出雲国いずものくに(島根県)に入ったヤマトタケルはこんな噂を耳にします。

ヤマトタケル

(出雲建いずもたけるとかいうもんがこの辺で調子に乗っとる…?)

ヤマトタケル

(そらきっちりしめて帰らんと、さて、どうするかのう…?)

またも計略をめぐらせ始めたヤマトタケル、彼は出雲建いずもたけるに正面から勝負を挑むのではなく、まずは何食わぬ顔をして友人として近づくことにしたのです。

ことと

もうすでになんか怖いんですけど

ヤマトタケル

ふっふっふっ…

稲佐の浜(伊耶佐の浜)
島根県出雲市にある稲佐の浜

特に疑われるでもなく出雲建いずもたけると懇意になったヤマトタケルは、ある日彼にこんな提案をします。

ヤマトタケル

やぁ我が友よ!
こう暑くてはかなわん、共に水浴びにでも行かないか!

イズモタケル

もちろんだマイフレンド!
さっそく向かおうではないか!

連れ立って肥河ひのかわ(斐伊川ひいかわ:島根県東部~鳥取県西部)を訪れた2人は、沐浴を行って心身を清めますが、先に河からあがったヤマトタケルがこんなことを言い出しました。

ヤマトタケル

なぁ友よ!
我らの友情の証に互いの太刀を交換し、
軽く手合わせしようではないか!

イズモタケル

もちろんだ盟友よ!
受けて立とう!

刀剣のイメージ

ヤマトタケル出雲建いずもたけるの太刀をぬらりと抜くと、大上段に構えて試合に備えます。

その一方、出雲建いずもたけるは何やらまごついており、うまく刀を抜けずにいるようです。

それもそのはず、ヤマトタケルが彼に渡した太刀は、いちいの木で精巧に作られた偽物で、つまり単なる木刀だったのです。

ヤマトタケル

出雲建いずもたけるぅ!!
そのたまもろたでぇぇぇ!!!

ヤマトタケル

キィエェェェェェェェィィィ!!!!!

イズモタケル

うぎゃぁ~

なんとヤマトタケルは、慌てる出雲建いずもたけるに一方的に襲いかかり、清々しいまでの騙し討ちで彼を一刀のもとに斬り伏せてしまいました。

イズモタケル

友になれたと…
思ったのに…バタッ

偽りとはいえ、今日まで友人として過ごしてきた出雲建いずもたけるの亡骸を見下ろすヤマトタケルは、おもむろにこんな歌を詠います。

やつめさす

出雲建いずもたける

ける太刀たち

黒葛多纏つづらさはま

身無みなしにあはれ

刀のイメージ

(意)あっれれ~?おっかしいなぁ~?出雲建いずもたける君の太刀、見た目は立派なのに肝心の刀身が無いぞぉ~?

無情にも程がある和歌を詠んだヤマトタケルは、数々の副産物を手土産に、一路大和国やまとのくに(奈良県)へと戻ります。

倭建命の旅路を示した図3
ことと

精一杯オブラートに包んで表現するわね…

ことと

とんっでもないク〇野郎じゃねぇかっ!!!

ヒヒ

現代の価値観で神話を裁いてはいかんぞい

現代人である私たちの感覚からすると、とても主人公とは思えない卑劣な外道っぷりを発揮しているヤマトタケル

しかし現実の古代世界においては、たとえ智謀や計略を駆使してでも、とにかく敵に勝利することが英雄の条件とされていたのも事実です。

当時は勝ち方自体はたいして重視されず、どんな手を使ってでも勝利して、最後に立っていた者だけが英雄として称えられたのです。

ヤマトタケル

わしの時代では、これがジャスティスだったから!!

西征せいせいから帰ったら東征とうせいを命じられ、さすがに父親の意図を察する【VS.相武国造さがむのくにのみやつこ

熊曾建くまそたけるばかりか出雲建いずもたけるまでも討ち取ったヤマトタケルは、堂々たる態度で大和国やまとのくに(奈良県)に凱旋し、父・景行けいこう天皇に事の子細を報告しました。

景行天皇

(お侍さまの戦い方じゃない…)

それなりの出迎えや労いの言葉を期待したヤマトタケルでしたが、そんな彼を待ち受けていたのは、容赦のない過酷な勅命でした。

景行天皇

東方にも12ほどまつろわぬ者どもがおってのぅ…
そいつらどうにかしてきてくれや…

ヤマトタケル

合点承知の…すけ…?

景行けいこう天皇は、長い西征せいせいの旅から生還した息子を褒めて遣わすこともなく、その疲れも癒えぬうちに東国への遠征を命じたのです。

さらに、東征とうせいにあたって朝廷から支給されたのは、御鉏友耳建日子みすきともみみたけひこという名のお伴が1人に、柊で出来た長いほこが1本だけ。

頭のネジがほとんど抜けたヤマトタケルにも、父・景行けいこう天皇の意図が何となく読めました。

彼は再び、伊勢国いせのくに(三重県)に住む叔母の倭比売やまとひめのもとを訪れ、今回ばかりはさすがに愚痴をこぼします。

伊勢神宮 正宮
伊勢神宮 正宮
ヤマトタケル

ちくしょう…
とんはワシに、死ね言うとるんじゃ…

ヤマトヒメ

まぁ甥よ、ええもんやるから
これで気張ってきんさいな

倭比売やまとひめは落ち込むヤマトタケルに、三種の神器のひとつに数えられる霊剣・草薙剣くさなぎのつるぎと、何かが入った小袋を授けました。

ヤマトヒメ

この袋は、ガチで万一の時にだけ開けるんやぞ?

ヤマトタケル

帰ってきたド〇えもんかな?

ちなみに、この時ヤマトタケルが受け取った草薙剣くさなぎのつるぎは、建速須佐之男命たけはやすさのをのみこと八俣遠呂智やまたのおろちを退治した際に手に入れた、あの草薙剣くさなぎのつるぎです。

あの草薙剣くさなぎのつるぎはコチラ

納得したわけではないものの勅命は勅命、ヤマトタケルは東方に向けて旅立ちます。

その途中、尾張国おわりのくに(愛知県)に立ち寄った彼は、その地の国造くにのみやつこの祖となる女神・美夜受比売みやずひめと出会いました。

2人は意気投合して結婚も考えますが、今のヤマトタケル東征とうせいの使命を帯びた身、彼らは婚約だけ交わして一旦別れます。

ヤマトタケルはそれからも、荒ぶる神々や朝廷に従わない人々をボコボコにしてまわり、東に向けてグイグイと進んでいきました。

野原のイメージ

彼らが相模国さがみのくに(神奈川県)に入った時のこと、現地の国造くにのみやつこがこんな相談を持ち掛けてきました。

国造

実は荒々しく恐ろしい神が住む沼がありましてのぅ…
先生のお力で、どうにかなりませんですやろか…

ヤマトタケル

おっし、任せとき!!

ヤマトタケルが件の沼におもむくために野原に入ると、突如として、四方を炎に囲まれてしまいます。

火を放ったのは先ほどの国造くにのみやつこヤマトタケルの進撃を快く思わない勢力が、彼を罠に嵌めようとしたのです。

国造

はっはっは~!
万事休すだなぁ若造め!!

事実大ピンチに陥ったヤマトタケルは、必死に打開策を考え、叔母の倭比売やまとひめから授かった謎の袋を思い出します。

ヤマトタケル

『ウソ8〇0エイトピーオー』~!!

ヤマトタケル

…じゃない、火打ち石かいな
あっ、なるほど!!

ヤマトタケルは、草薙剣くさなぎのつるぎで草を薙ぎ払い身の回りから燃えるものを失くすと、火打ち石で火を起こし、向かい火をつけました。

こちら側からも草を燃やすことによって、迫りくる炎の勢いを弱めることが出来るのです。

全身すすだらけになりながらも無事に脱出したヤマトタケルは、卑劣な奸計を巡らせた国造くにのみやつこの一族をすべて斬り伏せ、火を放って焼いてしまいました。

歌川国芳『日本武尊』
歌川国芳『日本武尊』 PD
ことと

人に卑劣とか言えた口じゃないけどね

この出来事により、その地は焼津やいづ(静岡県焼津市)と呼ばれるようになったと伝えられています。
※このエピソードの舞台は、正確には駿河国するがのくに(静岡県)だったとも言われています。

ヒヒ

明らかに時系列はずれとるが、「草薙剣くさなぎのつるぎ」の名称は、この逸話に由来すると言われておるぞい

ことと

ずっと思ってたんだけど…
的確なお助けアイテムをくれる倭比売やまとひめって何者なの?

とと(父)

彼女は、伊勢神宮いせじんぐうの縁起にも関わるほどの
能力を持つ巫女みこだったとされているよ!
予言者的な力があったのかもね!

九死に一生を得たヤマトタケルは、へこたれることなく東に向けての旅を続けます。

倭建命の旅路を示した図4
ヤマトタケル

さー!ガンガン行くぞーー!!

身を挺した妻のおかげで荒ぶる海神わたつみが鎮まり、道が開ける【東征とうせい完了】

一行が相模国さがみのくに(神奈川県)を出て、上総国かずさのくに(千葉県)に渡る走水海はしりみずのうみ(浦賀うらが水道)に差し掛かったころ、次なるトラブルが発生しました。

ヤマトタケルはこの狭く潮流の早い海峡を渡ろうとしますが、その日は嵐が吹き波が荒れ、船は同じところをぐるぐると回るばかりで一向に先へと進まないのです。

ヤマトタケル

う~ん、この辺の海神わたつみが怒り狂っとるのう…

ヤマトタケル

どうしたものか…

彼が対応に困っていると、旅に同伴していたヤマトタケルの妻・弟橘比売命おとたちばなひめのみことが一歩進み出てこう言います。

オトタチバナヒメ

わたくしが海神わたつみの妻となり、
その怒りを鎮めてご覧にいれましょう…

ヤマトタケル

ぎょぎょっ!!?

『日本開闢由来記』より日本武尊と弟橘媛
『日本開闢由来記』より日本武尊と弟橘媛
出典:国書データベース

古来より、荒れる海を鎮めるためには、生贄いけにえを捧げるのが一番だと信じられてきました。

海神わたつみのもとに嫁ぐという事はつまりそういう事であり、弟橘比売おとたちばなひめは、自ら人身御供ひとみごくうとなることを買って出たのです。

いくら使命を果たすためとはいえ、愛する妻をみすみす死なせるなど、簡単に受け入れられることではありません。

そんなヤマトタケルの心情を察してか、弟橘比売おとたちばなひめはこう付け加えます。

オトタチバナヒメ

あなたには、東征とうせいを果たすという大義がある
その成功を景行けいこう天皇に報告する責務があるのですよ

ヤマトタケル

ぐぬぬ…

背に腹は代えられぬと判断したヤマトタケルは、海の上に何枚もの敷物を浮かべると、その上に妻を降ろします。

弟橘比売おとたちばなひめは夫に別れを告げて入水じゅすいする際、最期にこのような歌を詠みました。

波のイメージ

さねさし

相武さがむ小野おの

ゆる

火中ほなかちて

ひしきみはも

(意)かつて相模さがみの燃え盛る炎の中で、あなたは私を救ってくださいましたね

しばらくして彼女の姿が波間から消えると、走水海はしりみずのうみの波は自然と穏やかになり、一行は無事に海峡を渡る事が出来たのです。

ことと

ヤマトタケル編にしてはまともに
切ない話のところ申し訳ないのだけど…
弟橘比売おとたちばなひめとはどこで出会ったの?

ヒヒ

実は本文にも記されておらんが、歌からも分かるように、おそらく前回の焼津やいづ編で契りを結んだと考えられておるぞい

とと(父)

助けてくれた恩返し的な意味もあるようだね!

それから7日後、弟橘比売おとたちばなひめが髪に挿していたくしが、ヤマトタケルのもとに流れ着きました。

くしには持ち主の魂が宿るとも考えられていたので、彼はそれを妻の霊代たましろ(霊の代わりとなるもの)とし、弟橘比売おとたちばなひめのために立派な墓を築きます。

妻の犠牲のもとにやっと拓けたこの道、中途半端は許されないと決意を新たにしたヤマトタケルは、気合十分に上総国かずさのくに(千葉県)へと入りました。

地上世界のイメージ

それからの彼はまさに破竹の勢い、荒れ狂う蝦夷えみしをことごとくぶちのめして平定し、朝廷に従わない山や川の荒ぶる神々をも次々と帰順させていきます。

一行が足柄山あしがらやま(神奈川県箱根)の坂の上に登った折、ヤマトタケルは、ふと走水海はしりみずのうみの方向に目を向けました。

自ら犠牲となった弟橘比売おとたちばなひめのことを思い出したのでしょう、彼はぽつりと、こうつぶやきます。

ヤマトタケル

吾妻あづまはや…
(ああ、我が妻よ…)

この逸話が由来となって、足柄あしがらより東の方を「あずま」と呼ぶようになったのだそうです。

ことと

何かこのあたりのヤマトタケルは、
やけに人間味がある感じがするわね

ヒヒ

さまざまな地方伝承がひとつに集約された結果、
ヤマトタケルなる人物が生まれたというのが定説じゃ

ヒヒ

多面的な性格を持っとるもの無理なかろう

ヤマトタケルはそれからも手を休めることなく、以下のルートで諸国をまわり、まつろわぬ者たちを片っ端から平定・帰順させていきました。

  • 甲斐国かいのくに(山梨県)
  • 信濃国しなののくに(長野県)
  • 美濃国みののくに(岐阜県)

もはや我らに逆らう者なし、ついに東国の平定を完了したヤマトタケルは、意気揚々と帰路につきます。

その道すがら、彼はかつて結婚の約束をした美夜受比売みやずひめが待つ、尾張国おわりのくに(愛知県)に向かうことにしました。

倭建命の旅路を示した図5
ヤマトタケル

さー!ゴンゴン戻ろーっ!!

【最終回】慢心?驕り?英雄は志半ばで倒れ白鳥となって飛び去る【辞世の歌ラッシュ】

東征とうせいの使命を果たしたヤマトタケルは、堂々たる面持ちで尾張国おわりのくに(愛知県)へと帰還し、婚約者である美夜受比売みやずひめのもとを訪ねました。

2人は約束通り結婚し、しばらくは尾張おわりの地での新婚生活を楽しみます。

ある日ヤマトタケルは、伊吹山いぶきやま(岐阜県・滋賀県にまたがる山)に棲むという、荒ぶる神を平定するために出立します。

しかしこの時の彼は、

ヤマトタケル

片田舎の荒神なんぞ、素手でぶっ飛ばしたろうやないかぃ!!

ヤマトタケル

なんせわし、西征せいせい東征とうせいの英雄ぞ…?

うそぶき、美夜受比売みやずひめの心配もよそに、伝家の宝刀・草薙剣くさなぎのつるぎを家に置いたまま出かけてしまいました。

森の道のイメージ

しばらく後、伊吹山いぶきやまの麓をズカズカと進むヤマトタケルの近くに、牛のように大きな白いいのししが現れます。

ヤマトタケル

ほほ、何やら面妖めんような畜生じゃ
きっと山の神の遣いに違いない

ヤマトタケル

今は見逃して、後でほふってぼたん鍋にでもしてくれよう!
かっかっかっ!

???

(ブチッ…)

ヤマトタケルには人(神)を見る目があまりなかったのか、その白いいのししこそが伊吹山いぶきやまの神であることを見抜けませんでした。

伊吹山の神

黙れ小僧!!!

侮辱されたことに怒った伊吹山いぶきやまの神は、その強い霊力で祟りを起こし、大粒のひょうを激しく降らせてヤマトタケルの身体を打ち据えます。

ヤマトタケル

ぐ、ぐぇぇぇ…

正常な判断力をほとんど失うほどに惑わされたヤマトタケル、やっと正気を取り戻した時には、彼の身体はすっかり衰弱していました。

杖にすがるようにしてやっと歩けるような状況で、ついに弱気になった彼の足は、自然と故郷の大和国やまとのくに(奈良県)の方に向けられます。

ヤマトタケル

あぁ~ヤベェ、なんちゅうこっちゃ…

伊吹山いぶきやまの神の祟りによって、これまでの無双っぷりからは想像できない程に、病気がちとなってしまったヤマトタケル

それでも彼は、力を振り絞って故郷へと歩を進めました。

山道のイメージ

途中で立ち寄った場所では、自由に歩けないことを嘆いたヤマトタケル

ヤマトタケル

まったくこのあたりは「たぎたぎしい」ね…
※道がでこぼこして歩きにくい

と愚痴をこぼしたことから、その地は当芸野たぎの(岐阜県養老郡養老町)と呼ばれるようになりました。

また、彼が杖をついてよろよろと登った坂は、杖衝坂つえつきざか(三重県四日市市)と名付けられます。

日に日に弱っていく身体と悪化する病状を押して旅を続けるヤマトタケルは、能煩野のぼの(三重県鈴鹿市付近)にたどり着いた際、故郷を偲んでこんな歌を詠みました。

やまと くにのまほろば

たたなづく 青垣あおがき

山隠やまごもれる

やまとしうるはし

伊勢志摩のイメージ

(意)重なり合い、青い垣を巡らしたような山々に囲まれた大和国やまとのくには本当に美しい

ヤマトタケルは自身の死期を悟ったのか、はたまた既に走馬灯が見え始めていたのか、自身の感情を吐露とろするような内容の歌を次々と詠みます。

樫の木のイメージ

いのち またけむひと

疊薦たたみこも

平群へぐりやま

熊白檮くまかし

髻華うず その子

(意)命の満ち溢れている人たちは、平群へぐりの山の樫の葉を髪に挿して、生命を謳歌すると良いよ

しけやし

我家わぎへかた

雲居立くもいた

茅葺屋根のイメージ

(意)懐かしい我が家の方から、雲が湧き昇っているなぁ

ここでヤマトタケルの病状は急激に悪化し、ついに彼は人生最期の歌を詠みました。

太刀のイメージ

嬢子おとめ とこ

きし

つるぎ太刀たち

その太刀たちはや

(意)ああ、美夜受比売みやずひめのところに置いてきたわしの草薙剣くさなぎのつるぎよ、ああ、あの太刀よ…

ことと

そこはせめて美夜受比売みやずひめの方を思い出してあげて欲しかったわ

ヒヒ

これ、今はそっとしておきなさい

巫女みこの加護を受けた霊剣・草薙剣くさなぎのつるぎを置いて出かけてしまったばかりに、山の神の祟りを受けて瀕死の状態になってしまった…

ヤマトタケルは、強い悔恨かいこんと絶望を感じながら息を引き取りました。

ただちに早馬が大和国やまとのくに(奈良県)へと送られ、景行けいこう天皇たちに悲報が伝えられます。

訃報ふほうを聞いたヤマトタケルの妻子たちは急ぎ現地に駆け付け、すぐさま彼の墓を造営し、厳粛な葬儀を執り行いました。

残された者たちが泣きながら歌を詠むと、ヤマトタケルの霊魂は白鳥となり、海辺へと飛んで行きます。

飛び立つ白鳥のイメージ

妻子たちは足の痛さも忘れてその後を追いますが、白鳥は河内国かわちのくに志磯しき(大阪府柏原市)に一旦留まったのを最後に、天空の彼方へと飛び去ってしまいました。

それから彼がどこに行ったのか、誰も知りません。

倭建命の旅路を示した図6
ことと

なんか無茶苦茶なやつだったけど…
父親に愛されるために頑張ったのかなと思うと…

ことと

なかなか切ない話よね~

とと(父)

手の付けられない荒々しさはあったけど、
根は純粋だったとも言えるよね!

ヒヒ

不運な最期を迎える主人公
いわゆる「判官贔屓ほうがんびいき」というやつで、
古来より日本人に好まれる物語のパターンじゃな

ヤマトタケル

さすがワシ、引き際も芸術的じゃ!!

ヤマトタケル

長かったけど、最後まで読んでくれてサンキューじゃい!!

Tips:『日本書紀』ver.は結構内容が違う!?

今回ご紹介したヤマトタケルの物語は、基本的には『古事記』に準拠したものとなっています。

もちろん『日本書紀』にも彼の冒険譚は描かれているのですが、実はその内容が『古事記』とはかなり異なっているのです。

ヒヒ

ざっくりと違いをまとめてみるぞい!

スクロールできます
比較ポインツ『古事記』『日本書紀』
ヤマトタケルの性格兄・大碓命おおうすのみことをバラバラにしてしまう凶暴性をもつ兄の命を奪うシーンは描かれず、残酷な側面のない勇敢な少年として登場
父・景行けいこう天皇の性格自分は大和やまとから一切動かず、ろくな装備も資金も与えずに息子を死地に追いやる、まるでド〇クエの王様自分から積極的に遠征に出ており、熊曾建くまそたける討伐も自身の軍団で成し遂げた※ヤマトタケル派遣は熊曾くまその第二次反乱の折に行われる
東征とうせいのきっかけ父に疎まれたことから、西征せいせいの疲れを癒す間もなく出陣の勅命を受ける東征とうせいを命じられ怖気づいた兄に代って自ら志願し、休むことなく東方に旅立つ
ヤマトタケル逝去に対する父の反応特になし息子の死を大いに悲しみ、彼の事績を惜しんで東国への行幸ぎょうこうに出る

このほか『日本書紀』では、ヤマトタケルが各地を平定していった流れがより詳細に説明されています。

そして最後には病に侵され、伊勢国いせのくに(三重県)能煩野のぼので命を落とすところで、共通のラストシーンに着地しているのです。

ことと

日本書紀』では、より分かりやすい
王道モノのヒーローとして描かれているわね

とと(父)

日本書紀』が海外向けであることを考えると、天皇もしっかり活躍していないと格好が付かないんだろうね!

ヒヒ

天皇家の身内にヤバイ奴がおるのも、
政治的には良くないじゃろうからの

ヤマトタケル

君たちはどっちの「ワシ」が好きだったかな!?

– 完 –

倭建命やまとたけるのみことを祀る神社ガイド

ヤマトタケルは、いくつかの神社で祀られています。

ことと

代表的な場所をご紹介するわね!

熱田神宮

  愛知県名古屋市熱田区神宮

大鳥大社

  大阪府堺市西区鳳北町

焼津神社

  岡県焼津市焼津

三峯神社

  埼玉県秩父市三峰

建部大社

 滋賀県大津市神領

氣比神宮

  福井県敦賀市曙町

十和田神社

  青森県十和田市奥瀬十和田湖畔休屋

妙義神社

 群馬県富岡市妙義町妙義

金鑚神社

 埼玉県児玉郡神川町字二ノ宮

加佐登神社

 三重県鈴鹿市加佐登町

吉田神社

 茨城県水戸市宮内町

酒折宮

 山梨県甲府市酒折

妙義神社

 東京都豊島区駒込

白鳥神社

  大阪府羽曳野市古市

走水神社

 神奈川県横須賀市走水

などです!

おわりに

今回は、日本神話に登場する倭建命やまとたけるのみことについて解説しました。

ことと

日本神話屈指のスーパーヒーローだけあって、
とんでもないボリュームのエピソードだったわね

とと(父)

現代の感覚からすると斜め下方向にぶっ飛んでいるのも、
神話の物語の魅力だよね!

パパトトブログ-日本神話篇-では、私たちの祖国に伝わる魅力的な神々や彼らの物語をご紹介していきます。

神さま個別のプロフィール紹介や神話の名場面をストーリー調で解説など、難しい言葉は出来るだけ使わずに、あらゆる角度から楽しんでもらえるようにしようと考えています。

これからも「日本神話」の魅力をどんどんご紹介してきますので、良ければまた読んでもらえると嬉しいです!

とと(父)

また来てね!

しーゆーあげん!

参考文献

  • 倉野憲司校注 『古事記』 岩波文庫 2010年
  • 島崎晋[監修] 日本博学倶楽部[著] 『日本の「神話」と「古代史」がよくわかる本』 PHP文庫 2010年
  • 由良弥生 『眠れないほど面白い『古事記』』 王様文庫 2014年
  • 由良弥生 『読めば読むほど面白い『古事記』75の神社と神さまの物語』 王様文庫 2015年
  • 歴史雑学研究倶楽部 『世界の神話がわかる本』 Gakken 2010年
  • 宮崎市神話・観光ガイドボランティア協議会編集 『ひむか神話伝説 全212話』 鉱脈社 2015年
  • 中村圭志 『図解 世界5大神話入門』 ディスカヴァー・トゥエンティワン 2020年
  • かみゆ歴史編集部 『マンガ面白いほどよくわかる!古事記』 西東社 2017年
  • 戸部民夫 『「日本の神様」がよくわかる本』 PHP文庫 2007年
  • 三浦佑之 『あらすじで読み解く 古事記神話』 文藝春秋 2013年
  • 國學院大學 「古典文化学」事業:https://kojiki.kokugakuin.ac.jp/research/
  • 茂木貞純監修『日本の神様ご利益事典』だいわ文庫 2018年
  • 武光誠『知っておきたい日本の神様』角川ソフィア文庫 2005年
  • 阿部正路監修『日本の神様を知る事典』日本文芸社 1987年

他…

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