こんにちは!
忙しい人のための神話解説コーナーだよ!
この記事では、忙しいけど日本神話についてサクっと理解したいという方向けに、『古事記』をベースにした神話のメインストーリーをざっくりとご紹介していきます。
とりあえず主だった神さまの名前と、ストーリーラインだけ押さえておきたいという方向けのシリーズとなります。
『日本書紀』にのみ見られる独自の展開や、各地に伝わる『風土記』に記されたエピソードなどは、神さま個人(神)を紹介した個別記事をご覧ください。
とりあえず大まかな流れをつかむというコンセプトじゃ
補足情報は【Tips】として解説しとるが、読み飛ばしても全然OKじゃぞ
関連記事のリンクを貼っているから、
気になった方はそちらもチェックしてね
ではさっそくいってみよう!
忙しい人はコチラから本編にすっ飛びじゃ
この記事は、以下のような方に向けて書いています。
- 日本神話にちょっと興味がある人
- 日本神話に登場する神さまのことをざっくり知りたい人
- とりあえず誰かにどや顔でうんちく話をしたい人
- 日本神話のメインストーリーをざっくりと把握出来ます。
- あなたのエセ教養人レベルが1アップします。
まじで忙しい人のための結論
本気で忙しいあなたのために、今回ご紹介する物語のストーリーラインを、箇条書きでざっくりまとめておきます。
ぱっと見で把握してね
何ならここを読むだけでもOKじゃぞ
今回ご紹介する『三韓征伐神話』のストーリー
- 倭建命の息子である第十四代仲哀天皇は妻・息長帯比売命を伴い、熊曾征伐の遠征を決意する
- 筑紫の香椎の宮(福岡県福岡市)に入った天皇は建内宿禰を審神者として託宣の儀式を行い、帯比売に神懸りした住吉三神により新羅遠征を勧められる
- 熊曾討伐にこだわる仲哀天皇は神々のお告げを疑い、その怒りを買って急逝、祟りを恐れた帯比売は改めて三神を祀り、朝鮮半島への出兵を決意する
- 神々の加護を受けた帯比売の船団は快進撃を続け、新羅のみならず高句麗や百済をも降伏させて筑紫(九州)へと帰還する
- 品陀和気命を生んだ帯比売は大和国(奈良県)へと戻ろうとするが、皇位継承争いの気運を察知した彼女は一計を案じ、息子の死を偽装する
- 蜂起した香坂王と忍熊王の軍勢と対峙した帯比売の一行は、機転を利かせた作戦で彼らを全滅させる
- 死者の穢れをまとった品陀和気は、建内宿禰と共に禊の旅に出て、伊奢沙和気命との出会いなどを経て立派な青年に成長する
- 100歳でこの世を去った帯比売は「神功皇后」と呼ばれ、天皇に即位した品陀和気は善政を行い、後に「応神」という諡号が贈られる
そもそも「日本神話」って何?
「日本神話」とは、ざっくり言うと「日本ってどうやって生まれたの?」を説明してくれる物語です。
原初の神々や日本列島の誕生、個性豊かな神さまが活躍する冒険譚や、彼らの血を引く天皇たちの物語が情緒豊かに描かれています。
現代の私たちが知る「日本神話」の内容は、『古事記』と『日本書紀』という2冊の歴史書が元になっています。
これらは第四十代天武天皇の立案で編纂が開始され、それぞれ奈良時代のはじめに完成しました。
国家事業として作られた以上、政治的な色合いがあることは否めませんが、堅苦しくて小難しいかと思ったらそれは大間違い。
強烈な個性を持つ神々がやりたい放題で引き起こすトラブルや恋愛模様は、あなたをすぐに夢中にさせることでしょう。
「日本神話」の全体像は、以下で解説しているよ!
さぁ、あなたも情緒あふれる八百万の神々が住まう世界に、ともに足を踏み入れてみましょう。
主な登場人物
この物語の登場人物(神)をざざ~っと挙げておくぞい
エピソード9/戦巫女と予言の子
―前回までのあらすじ
第十二代景行天皇の皇子である倭建命は元来凶暴な性質をもっており、父の命令を曲解した彼は実の兄・大碓命の命を奪ってしまいました。
息子の残虐性を恐れ、次第に疎ましく思うようになった天皇は、倭建に筑紫(九州)の熊曾建討伐を命じます。
叔母の倭比売命から授かった巫女の衣装に身を包んだ倭建は、いともたやすく標的の宴に潜入し、見事に熊曾建の兄弟を討ち取りました。
この時に敵から「倭建御子」の名を贈られた彼は、ここで正式に「倭建命(日本武尊)」と呼ばれるようになります。
彼は直接大和国(奈良県)へは戻らず、周辺の神々を平定しながら北上し、出雲国(島根県)を経由して勇猛な出雲建までも打ち倒してしまいました。
父・景行天皇のもとに堂々凱旋した倭建ですが、そんな彼を待ち受けていたのは労いの言葉ではなく、次なる東征の勅命でした。
自分を遠ざけたいという父の思惑を察しつつも、倭比売から都牟刈太刀を授かった倭建は、東方に向けての旅を開始します。
相武国造の奸計により四方を炎に囲まれた彼は、叔母から授かった都牟刈太刀と火打ち石によって窮地を脱し、この逸話は「草薙剣」の由来譚となりました。
妻・弟橘比売命の犠牲により道が拓かれた倭建の一行は、その後も各地を順次平定し、ついに東征の任務を完了します。
故郷へ戻る前に尾張国(愛知県)に立ち寄った倭建は、その地の国造の祖となる女神・美夜受比売と結婚しました。
そんな彼はある日、妻の元に「草薙剣」を置いたまま、伊吹山(岐阜県・滋賀県にまたがる山)に棲むという荒ぶる神の討伐に出かけます。
山の神の霊力をあなどった倭建は、恐ろしい祟りをその身に受けてしまい瞬く間に衰弱、弱気になった彼の足は故郷の大和国(奈良県)へと向けられました。
満身創痍になりながらも歩き続ける倭建ですが、無双の強さを誇った彼もついに倒れ、道半ばで息を引き取ってしまいます。
彼の魂は白鳥の姿となって、どこかへと飛び去ってしまいました。
それから時代は第十三代成務天皇の治世を経て、倭建の息子である第十四代仲哀天皇の御代へと移ります。
前回のストーリーはコチラ!
今回は、戦う巫女にして最強のママ・神功皇后
親子の物語だね!
機転と胆力で大事な息子を守り抜く母と、
立派に成長する息子の物語よ
皇后の名は死後に贈られる諡号で、
生前の彼女は息長帯比売命と呼ばれるぞい
夫を亡くした巫女は、住吉三神の託宣を受けて海外進出!【三韓征伐】
物語は、前回の主人公・倭建と布多遅能伊理毘売命の息子である、第十四代仲哀天皇の御代から始まります。
本文には出てこないけど、
倭建にはたくさんの妻子がいたんだよ!
この時代、大和朝廷を中心とする日本国は、国際的な緊張の真っ只中にありました。
当時日本が国交を結んでいた国のひとつに、朝鮮半島南部に位置する任那という国があります。
この国は、新羅と百済の両国に国境を面していたことから、常に平和を脅かされるという宿命を抱えていました。
物語が始まるこの時も、任那侵攻の野心を起こした新羅が暗躍し、九州南部(現在の熊本県と鹿児島県付近)に勢力を張る熊曾に反乱を起こさせ、国内を混乱に陥れようと画策していたのです。
日本の援助を妨害すれば、任那陥落が楽になるって寸法だね!
若かりし頃の父が平定した熊曾に再び謀反の気あり、仲哀天皇はその鎮圧に激しい情熱を燃やし、筑紫(九州)への遠征を決意します。
天皇は熊曾討伐軍を編成し、筑紫の香椎の宮(福岡県福岡市)に入りました。
そこで彼は、今回の遠征の神意をうかがうために、神帰せの琴を奏でます。
とはいえ、うまく神さまを呼ぶことが出来ても、その言葉を媒介する存在がいなければ、何を言っているのか理解することが出来ません。
ここで登場するのが、仲哀天皇の后にして託宣の巫女、そして物語の主人公でもある息長帯比売命(後の神功皇后)です。
やりまっせ~
さらにこの神事の進行を担当するのが、第十二代景行天皇の時代から朝廷に仕えている長寿おばけの大宰相・建内宿禰です。
やりまっせ~
建内宿禰が審神者として儀式を始めると、神秘的な巫女の能力を持つ帯比売に何らかの神さまが神懸り(憑依すること)して、以下のような託宣(要はお告げ)をしました。
西の方角に金銀財宝ざっくざく
熊曾よりもそっちに行きんしゃい
その神さまは、熊曾討伐は後回しにして、朝鮮半島に打って出よと告げたのです。
しかし、仲哀天皇はそのお告げの内容に不満を持ちました。
父・倭建がたった1人で熊曾を平定したように、自身も同じような偉業を成し遂げたいと執着していたのかもしれません。
そんな彼は小高い丘に登り、海を見渡してこう言いました。
そんな国見せませんけど~
どうしてそんな嘘つくんですか~
あっ、この人神の言う事疑ってまーす
こやつにも、神罰 神罰ぅ!
託宣の真偽を疑った仲哀天皇の態度は、神さまのすさまじい怒りを招きました。
琴の音が止んだことを不審に思った建内宿禰が様子を見に行くと、すでに天皇は事切れていたのです。
※実際に熊曾に遠征し、敵の矢を受けて命を落とすパターンもあります。
あんたの父ちゃんも神さまを馬鹿にして死んだんやぞ…
血は争えんのぅ…
有能な建内宿禰は、政局の混乱を防ぐために、天皇崩御の事実を隠匿するよう進言しました。
神の逆鱗に触れたために夫が急逝したのだと信じた帯比売は、国を挙げて穢れを祓う「大祓」の儀式を執り行った後、改めて神々に神託を求めます。
すると再び神さまが降りて来て、帯比売の口を通してこんなことを言いました。
うん、やっぱり西の新羅が良い感じだね~
この国はね、
帯比売ちゃんのお腹にいる子が治めることになるよ~
お告げの内容を聞いていた建内宿禰は、最後にその神々の名前を尋ねます。
聞いて驚け!
見て笑え!
我ら天照大御神さまの一の子分!
上筒之男神!
中筒之男神!
底筒之男神!
住吉三神の指示通りに神々を祀った帯比売は、軍勢を整えて船に乗り、玄界灘へと船出します。
文献によっては、このとき帯比売に神懸りして新羅遠征をお勧めしたのは、事代主神であるともされています。
予言の神さまだもんね
また『諏訪大明神絵詞』によると、この場面には諏訪大明神こと建御名方神とその妻・八坂刀売神が現れ、海底の龍宮から借りて来た「満干の珠」を帯比売に授けたと伝えられています。
いずれにしても、たくさんの神さまから祝福を受けたと見える託宣の巫女の御一行。
神々の加護とはすごいもので、帯比売が率いる大船団は、海を泳ぐ魚たちや盛んに吹く追い風の後押しを受けて、とんでもない速度で進みました。
あっという間に新羅の中央部に到達した軍勢は、船を降りて一気に内陸にまで攻め込みます。
その勢いに圧倒されて怖れをなした新羅の王は、
これからは永久に天皇にお仕えいたしやす~
と宣言し、帯比売は戦わずして新羅を降伏させることに成功したのです。
さらに、彼女が率いた軍勢の勇猛さは他国にも轟き、高句麗や百済からも朝貢の約束を取り付けるという快挙を成し遂げました。
これが有名な『三韓征伐』のお話じゃ
帯比売の数代前の先祖には、
元・新羅の皇子である天之日矛命がいるよ!
縁があったというか、相性が良かったのかもしれないわね
帯比売は筑紫(九州)への帰路につきますが、次なるピンチが彼女を襲います。
お腹にいる子どもが今にも生まれそうになったのです。
日本を治めることになる御子を、
新羅の地で産むわけにはいかぬ…!
そう考えた彼女は裳(ボトムス的な衣服)の腰におまじないの石(鎮懐石)を結わえ付け、出産を遅らせながら這う這うの体で再び海を渡りました。
無事に三韓征伐を成し遂げて祖国へと戻った帯比売ですが、『日本書紀』には以下のようなエピソードも残されています。
一行が筑紫(九州)を発って難波に向けて船を進めていると、現在の神戸の沖合で波が旋回しはじめ、先へ行くことが出来なくなってしまいます。
託宣の巫女としての能力をもつ帯比売は務古水門に引き返し、得意の占いで神意をうかがうことにしました。
一体全体これはどういうことでっしゃろか~
ここで登場するのが稚日女命、あの建速須佐之男命の大暴れによって命を落とし、『天岩戸神話』のきっかけとなってしまった気の毒な機織りの女神さまです。
降臨した彼女は帯比売に向かってこう言いました。
わし、活田長峡国に居りたいんじゃぁ~
状況の説明にはなっていませんが、なんとなく意図を察した帯比売は、海上五十狭茅に命じて稚日女を祀らせることにします。
するとあら不思議、今まで荒れていた波は穏やかさを取り戻し、一行は無事に大和国(奈良県)へと凱旋を果たすことが出来たのです。
これが兵庫県神戸市にある生田神社の由来となっておるぞい
今回は海路の安全を守護する女神として登場してみたわよ
予言の子の誕生、その命を狙う義兄たち
筑紫(九州)に到着した帯比売は無事に男の子を出産し、その子を品陀和気命と名付けました。
生まれたときから腕に鞆(弓を射る時に左手首に着ける武具)のような形の肉があったことから、彼は大鞆和気命の名でも呼ばれます。
品陀和気生誕の地は宇美(福岡県糟屋郡宇美町)と名付けられたよ!
いよいよ一行が大和国(奈良県)に凱旋するかというタイミングで、帯比売はふと考えました。
(…何か嫌な予感がする)
第十四代仲哀天皇と、『三韓征伐』の英雄である帯比売の血を引く子。
住吉三神の託宣により妊娠が発覚し、呪術的な方法で出産がコントロールされ、15ヶ月もかけてやっと生まれた子。
どの角度から考えても次の天皇の最有力候補は、帯比売の息子である品陀和気でした。
古来より、異常な生まれ方をした子は
神の力を持つという観念があったのじゃ
しかし仲哀天皇には他にも、大中比売命との間に生まれた、香坂王と忍熊王の2人の皇子がいたのです。
(もしかしたら、
あいつらこの子を狙ってくるんとちゃうか…?)
息子が皇位継承の争いに巻き込まれることを危惧した帯比売は、ここで一計を案じます。
品陀和気は生まれてすぐに亡くなってしまったという噂を部下たちに流させ、ダミーの喪船を1隻用意して、いかにもそれらしい雰囲気で難波へと船団を進めたのです。
帯比売の予感は見事的中し、香坂王と忍熊王は共謀して、皇后を討ち取らんと兵を挙げました。
しかしこのうち香坂王の方は、挙兵の吉凶を占うための「誓約狩り」を行った際に、大猪にぶっ飛ばされて命を落としています。
なんのこっちゃ
占いの結果は当然「凶」ですが、忍熊王はそれを恐れることなく、帯比売の軍勢が上陸するタイミングを見計らって襲撃を仕掛けました。
まず彼らは、防御が手薄なはずの喪船を優先的に狙います。
しかし船の中から出てきたのはおびただしい数の兵士たち、一枚上手だった帯比売は、忍熊王の虚を突いて一時的に優位を確保しました。
とはいえ敵の軍勢も屈強なもので、まもなく戦況は膠着状態に陥ります。
ここで一計を案じたのが、帯比売軍の将軍を務める難波根子建振熊命です。
彼は忍熊王の前に進み出ると、
皇后(=帯比売)は流れ矢に当たり既に崩御された!!
我らが戦う理由はもはや無い!!
戦意が無いことの証に、我ら全軍、
弓の弦を切って見せよう!!
あと剣も捨てるよ!!
と宣言し、帯比売軍に武装解除を命じました。
ほ~ん、そういうことなら、わしらの勝ちやね
その様子を見た忍熊王は建振熊の降伏宣言を信じ、自身の軍にも弓の弦を外すよう命じて応えます。
このタイミングを狙っていたのが建振熊、
お前たち、やっておしまい!!
なんと彼は、あらかじめ兵士たちの髪に弦を結いつけさせており、このタイミングで取り出して再び弓に張るよう命じたのです。
忍熊王の軍は既に武装を解除してしまっているので、帯比売軍は一方的に矢の雨を降らせることが出来ました。
それはズルいでっしゃろぉぉぉ!!
またも虚を突かれた忍熊王達はなすすべもなく全軍敗走、建振熊は執拗にこれを追撃します。
近江国(滋賀県)の沙々那美(琵琶湖の西南岸一帯)にて、帯比売軍は敵を全滅させました。
追い詰められた忍熊王は、自ら命を絶ったと伝えられています。
※建振熊の代わりに建内宿禰が活躍するパターンもあります。
この人たちいつも一計を案じているわね
どっちが主人公サイドか分からんねこりゃ
古代の戦いとはこういうもんぢゃ
こうして皇位継承争いに決着をつけ、愛する息子の命を狙う勢力を排除した帯比売ですが、1つだけ問題が残っていました。
それは、戦いに勝つためとはいえ、品陀和気を死人に見立ててしまったことです。
古来より、「死」や「死者」は穢れているとされ、忌み嫌われてきました。
生きている人間を死者に見立てることも同様で、とんでもなく縁起の悪いことであり、品陀和気は穢れを祓うための「禊」を行う必要があったのです。
帯比売は、信頼のおける大ベテランの宰相・建内宿禰に息子を預け、2人を禊の旅に送り出しました。
次章は息子の品陀和気が主人公ね
予言の子は禊の旅を経て立派な青年となり、有能な天皇として日本文化を発展させる
幼い品陀和気と建内宿禰の2人は近江国(滋賀県)や若狭国(福井県南部)を巡礼し、穢れを祓う旅を続けました。
その後越前国(福井県北部)の角鹿を訪れた建内宿禰は、そこに仮宮を建てて皇子を住まわせ、「禊」の行事を行ったとされています。
そんな2人が現地に滞在していたころ、以下のような出来事がありました。
ある夜、建内宿禰の夢に伊奢沙和気命という名の神さまが現れ、こんなことを提案してきたのです。
わしの名と、その御子の名を取りかえっこせんね?
はぁ、それはありがたいことで、仰せの通りにいたしやしょ
ほんなら明日の朝、浜に出てみんしゃい
トレード成立の証に、贈り物をあげましょ
翌朝、建内宿禰と品陀和気が連れ立って浜に出てみると、そこには鼻に傷のついたたくさんの入鹿魚が寄り集まっていました。
品陀和気は、多くの食べ物(御食)を恵んでくれた神さまに感謝を表明し、その御名を称えて「御食津大神」と名付けたと伝えられています。
今では「気比大神」と呼ばれとるよ
…食べ物!?
それ以来、この地方から朝廷に塩や魚介類が多く献上されるようになったそうです。
傷ついた入鹿魚たちの血が臭かったことから、この地は「血浦」と呼ばれ、後に「都奴賀(角鹿)」となり、現在では「敦賀」という地名で知られています。
また、神さまと自身の名前をとり替えるというこのエピソードは、典型的な成人儀礼のひとつである名前替えの神事を象徴するとも言われています。
こうして無事に成人の儀式を終えた品陀和気は、彼を立派に育て上げた建内宿禰と共に大和国(奈良県)へと戻り、常世国の少名毘古那神お手製という謎の酒を土産に祝宴に参加しました。
母・帯比売は息子の帰還と成長を大変喜び、品陀和気を皇太子に立てると、自らは摂政となってその統治を助けます。
帯比売は100歳でこの世を去り、後年になって「神功」という諡号が贈られ、現在の私たちが良く知る「神功皇后」の名で呼ばれるようになったのです。
なかなか波乱に満ちた人生だったのね~
今のご時世、男だ女だ言っちゃダメだけど…
そのうえで彼女は、とんでもない女傑だったわね~
倭建命に次ぐ日本神話のスーパーヒーローと言っても過言ではない帯比売は、戦前までは実際の歴史上の人物だと考えられていました。
しかし戦後になって神話の研究が進むと、彼女は実在した3名の女帝をモデルにした、伝説上のキャラクターであるとの見方が主流になりました。
帯比売のモデルになったのは以下の3名だよ!
- 第三十三代推古天皇
-
- 日本史上初の女性天皇で聖徳太子の叔母
- 『冠位十二階』や『十七条憲法』の制定、『天皇記』や『国記』などの国史の編纂、遣隋使の派遣など
- 海外に目を向ける国際的な人物像は彼女から来たのかも?
- 第三十七代斉明天皇
-
- 第三十五代皇極天皇を退位して重祚(再び即位すること)した初めての人物
- 蝦夷討伐軍の派遣、大規模な土木事業の推進、百済救済のための九州遠征など
- パワフルで勇猛なイメージは彼女から来たのかも?
- 第四十一代持統天皇
-
- 律令の制定、戸籍の整備、本格的な都の造営など、中央集権国家確立の地盤固めを行った有能な女帝
- 本来の役割は第四十代天武天皇から子の草壁皇子に皇位を伝えることだった
- 息子を守り天皇に即位させる聖母としてのイメージは彼女から来たのかも?
『日本書紀』には、邪馬台国の卑弥呼と同一視するような記述まであるのじゃ
わっはっは!
良いとこ取りのスーパーウーマンぢゃ!
母・神功皇后の死後、正式に天皇に即位した品陀和気は、その41年間の治世で非常に優れた政治を行いました。
特に海外の文化に目を向ける気質は母譲りだったようで、彼はさまざまな人材を日本に招き、その進んだ文化を積極的に取り入れたとされています。
ざっくりダイジェストでまとめるぞい
対象 | 使者 | 概要と結果 |
---|---|---|
百済王の子・阿直岐 | – | 文学に精通、経典を治めていたので息子の宇遅能和紀郎子の家庭教師にする |
百済の王仁 | 荒田別 鹿我別 | 阿直岐の紹介 |
百済及び新羅から縫工・織工・鍛工・船匠などの優れた技術者を伴って来日 | ||
『論語』十巻と『千字文』一巻を朝廷に献上 | ||
大陸の呉国 | 阿知使主 都加使臣 | 呉王の承諾を得て養蚕・紡績・織物・裁縫などの優れた技術者を伴って帰還 |
以上のようにあらゆる文学・産業・文化を日本に取り込んだ品陀和気は、我が国の文化的基礎を築いた天皇として評価されており、大和朝廷の勢力も彼の治世において飛躍的に発展したと伝えられています。
『古事記』では130歳、『日本書紀』では110歳でこの世を去ったとされる彼には「応神」という諡号が贈られ、現代の私たちが良く知る第十五代応神天皇の名で呼ばれるようになりました。
「応神」の諡号を贈られた品陀和気はその後、八幡信仰のご祭神とされ、八幡神や八幡大菩薩の名で信仰を受けるようになりました。
詳しい経緯は明らかではありませんが、平安時代後期に成立した歴史書『扶桑略記』の中に、その縁起をうかがわせる以下のような逸話が記されています。
豊前国(大分県)は宇佐群のとある場所に、変わった風貌をもつ鍛冶の翁が住んでいました。
その老人が金色の鷹や鳩に変身するのを目撃した地元の神主・大神比義なる人物は、
なんかすげー奴に違ぇねぇ
と考え、件の翁に3年間仕えます。
ある日、神主が
もし神さまなら、私の前に姿を現してくだせぇ
と祈ると、翁は突然3歳の子どもに姿を変えて竹の葉の上に立ち、
我が名は第十五代応神天皇
そして護国霊験威身神大自在王菩薩なり
そして
護国霊験威身神大自在王菩薩
なり
と名乗ったとさ。
えっ!?
す、すみません、名前もう1回お願いします!
このエピソードにより品陀和気≒八幡神と見なされるようになり、八幡信仰の発祥地である宇佐神宮を拠点として、彼の霊威は日本全国に広がっていきました。
特に武家の棟梁・源氏の守護神に採用されて以降は拡大の勢いを増し、各地の武家層から庶民へと、その信仰が浸透したと言われています。
もともと軍神や弓矢の神さまとして信仰された品陀和気(八幡神)は、その過程で教育や縁結び、交通安全などの日常生活に根差した神格をも帯びていき、今ではすっかり庶民的な文武両道の神さまとして親しまれています。
わしも丸くなったのよん
八幡神は本来土着の神さまで、奈良時代~平安時代にかけて同一視されるようになったとも言われているよ!
【番外編】建内宿禰と品陀和気命の心温まらないエピソード
物語の要所要所に登場し、地味に重要な役割を果たしているのが宰相の建内宿禰です。
実は彼もとんでもない人物で、建内宿禰は以下の五代の天皇たちに、トータルで224年もの間仕えたとされています。
- 第十二代景行天皇
- 第十三代成務天皇
- 第十四代仲哀天皇
- 第十五代応神天皇
- 第十六代仁徳天皇
当時は定年制度なんてなかったからのう
彼は歴代の天皇たちの元で八面六臂の活躍を果たし、さらには360歳というとんでもない長寿を誇ったことから、延命長寿や武運長久の神さまとしても信仰を受けています。
戦前の紙幣にもよく登場していたんだよ!
そんな建内宿禰は、帯比売の息子・品陀和気と長い旅を続け、彼を立派な青年へと成長させました。
ここでは番外編として、建内宿禰と品陀和気の強い信頼関係が揺らいでしまいそうな、何とも心温まらないエピソードをご紹介します。
それいる!?
建内宿禰には味師内宿禰という弟がいましたが、彼は常々、兄を排除してその地位を奪ってやろうと企んでいました。
そんな折、第十五代応神天皇(=品陀和気)は建内宿禰に、筑紫(九州)の視察を命じます。
これは味師内にとってまたとないチャンス、彼は兄が不在の隙にひそかに天皇に近づき、こんな讒言を吹き込みました。
陛下!うちの兄はヤバいですぜ!
九州を拠点にして都に攻め上ろうと企んどるんですわ!!
え~っ!あの建内宿禰が!?
超怖いじゃ~ん!
話を聞いた応神天皇は非常に驚き、ただちに建内宿禰討伐軍を九州に派遣します。
建内宿禰は、部下の真根子命が身代わりになってくれたことで辛くも難を逃れますが、このままじっとしていても事態が好転することはありません。
意を決した彼は自ら大和国(奈良県)に乗り込み、天皇に面と向かって身の潔白を訴えました。
う~ん、なら「盟神探湯」する?
「盟神探湯」とは古代の裁判における真偽判定法のひとつで、それぞれ相反する主張をする者同士が煮えたぎる熱湯の中に手を突っ込みます。
正しい者の手は傷ひとつ負いませんが、邪なる者の手は大火傷でただれてしまうので、どちらが嘘をついているか一目瞭然という寸法なのです。
アッツゥウゥゥゥウゥ!!!!
もちろん結果は分かり切っていて、建内宿禰がまったくの無傷なのに対し、味師内は火傷の痛みで悶絶する羽目になりました。
陰謀によって危うく命を失うところだった建内宿禰、しかし彼は正々堂々と冤罪を主張し、見事に身の潔白を証明したのです。
しかし、ここで若干の疑問が残るのが天皇の対応です。
応神天皇は生まれたその日から建内宿禰の世話になっており、彼が香坂王と忍熊王の反乱を鎮めたからこそ、今日まで生きてこられているのです。
その後も幼い天皇は建内宿禰と禊の旅を共にし、彼からはさまざまな事を教わって強い絆を育んだ…はずなのです。
しかし現実には、真正面から無実を訴えた建内宿禰に対して、そんなに絡みのない味師内の嘘を一発で真に受け、実際に討伐軍まで出してしまった応神天皇。
もちろん『記紀』の本文にそんな描写はありませんが、現場では死ぬほど気まずい空気が流れたのかもしれませんね。
…
…
応神天皇のちょっぴり残念エピソード兼
建内宿禰の忠臣エピソードね
今回、あらすじ解説、最終回!!
さて、三韓征伐を成し遂げた神功皇后と、息子の応神天皇の物語はこれにて完結です。
天皇は崩御の前に、後継者候補に最年少を指名して次世代に爆弾を投下したりもしていますが、なおも代々の天皇の系譜と神話の物語は続いていきます。
聖帝とも称された第十六代仁徳天皇や、一言主神と対峙した第二十一代雄略天皇など、その後もいくつかのユニークなエピソードが展開されていますが、いずれも基本的には天皇家を中心とした人間たちの物語となっています。
当ブログのテーマは『神話の神々と物語の紹介』なのです!
というわけで、日本神話のあらすじ紹介のコーナーは、今回が最終回となります。
人間たちの物語にも興味がある人は、
ぜひ書籍なども手に取ってみてね!
実際に『古事記』の方も、このあとは代々の天皇の名称や生没年が羅列された事務的な記録になっていくので、当記事もそれに倣い、『古事記』のラストを飾る日本初の女帝・第三十三代推古天皇までの系譜を、ざっくりとまとめて完結とさせていただきます。
その後の天皇たち
第十六代 | 仁徳天皇 |
第十七代 | 履中天皇 |
第十八代 | 反正天皇 |
第十九代 | 允恭天皇 |
第二十代 | 安康天皇 |
第二十一代 | 雄略天皇 |
第二十二代 | 清寧天皇 |
第二十三代 | 顕宗天皇 |
第二十四代 | 仁賢天皇 |
第二十五代 | 武烈天皇 |
第二十六代 | 継体天皇 |
第二十七代 | 安閑天皇 |
第二十八代 | 宣化天皇 |
第二十九代 | 欽明天皇 |
第三十代 | 敏達天皇 |
第三十一代 | 用明天皇 |
第三十二代 | 崇峻天皇 |
第三十三代 | 推古天皇 |
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました!!
当ブログでは日本神話以外にも、
さまざまな世界の神話の神さまを取り上げていくぞい
よかったらそちらも見てみてね!
― 完 ―
おわりに
今回は、日本神話随一の女傑・神功皇后による『三韓征伐神話』について解説しました。
巫女であり戦士であり良き母である、
これまたすごい個性のある存在だったわね
日本神話のあらすじざっくり解説シリーズ
これにて完結です!
パパトトブログ-日本神話篇-では、私たちの祖国に伝わる魅力的な神々や彼らの物語をご紹介していきます。
神さま個別のプロフィール紹介や神話の名場面をストーリー調で解説など、難しい言葉は出来るだけ使わずに、あらゆる角度から楽しんでもらえるようにしようと考えています。
これからも「日本神話」の魅力をどんどんご紹介してきますので、良ければまた読んでもらえると嬉しいです!
また来てね!
しーゆーあげん!
参考文献
- 倉野憲司校注 『古事記』 岩波文庫 2010年
- 島崎晋[監修] 日本博学倶楽部[著] 『日本の「神話」と「古代史」がよくわかる本』 PHP文庫 2010年
- 由良弥生 『眠れないほど面白い『古事記』』 王様文庫 2014年
- 由良弥生 『読めば読むほど面白い『古事記』75の神社と神さまの物語』 王様文庫 2015年
- 歴史雑学研究倶楽部 『世界の神話がわかる本』 Gakken 2010年
- 宮崎市神話・観光ガイドボランティア協議会編集 『ひむか神話伝説 全212話』 鉱脈社 2015年
- 中村圭志 『図解 世界5大神話入門』 ディスカヴァー・トゥエンティワン 2020年
- かみゆ歴史編集部 『マンガ面白いほどよくわかる!古事記』 西東社 2017年
- 戸部民夫 『「日本の神様」がよくわかる本』 PHP文庫 2007年
- 三浦佑之 『あらすじで読み解く 古事記神話』 文藝春秋 2013年
- 國學院大學 「古典文化学」事業:https://kojiki.kokugakuin.ac.jp/research/
- 茂木貞純監修『日本の神様ご利益事典』だいわ文庫 2018年
- 武光誠『知っておきたい日本の神様』角川ソフィア文庫 2005年
- 阿部正路監修『日本の神様を知る事典』日本文芸社 1987年
他…
気軽にコメントしてね!