こんにちは!
今回は日本神話より伊奢沙和気命を紹介するよ!
伊奢沙和気命?
どんな役割をもつ神さまなの?
彼は海や風を司る航海の守護神であり、
食物の神さまとしても信仰されているよ!
御食津大神や気比大神とも呼ばれるぞい
ではさっそくいってみよう!
このシリーズでは、忙しいけど日本神話についてサクっと理解したいという方向けに、「かんたん・わかりやすい」がテーマの神々の解説記事をお送りしています。
超個性的な八百万の神々が織りなす、笑いあり、涙ありのトンデモぶっ飛びストーリーが、あなたに新たなエンターテイメントとの出会いをお約束します。
人間味溢れる自由奔放な神々の色彩豊かで魅力的な物語に、ぜひあなたも触れてみてくださいね。
今回は、品陀和気命(後の第十五代応神天皇)の成人儀礼に登場した食物の神にして、朝廷からも崇敬された地元密着型の航海の神、伊奢沙和気命をご紹介します!
忙しい人はコチラから本編にすっ飛びじゃ
この記事は、以下のような方に向けて書いています。
- 日本神話にちょっと興味がある人
- 日本神話に登場する神さまのことをざっくり知りたい人
- とりあえず誰かにどや顔でうんちく話をしたい人
- 日本神話に登場する「伊奢沙和気命」について少し詳しくなります。
- あなたのエセ教養人レベルが1アップします。
そもそも「日本神話」って何?
「日本神話」とは、ざっくり言うと「日本ってどうやって生まれたの?」を説明してくれる物語です。
原初の神々や日本列島の誕生、個性豊かな神さまが活躍する冒険譚や、彼らの血を引く天皇たちの物語が情緒豊かに描かれています。
現代の私たちが知る「日本神話」の内容は、『古事記』と『日本書紀』という2冊の歴史書が元になっています。
これらは第四十代天武天皇の立案で編纂が開始され、それぞれ奈良時代のはじめに完成しました。
国家事業として作られた以上、政治的な色合いがあることは否めませんが、堅苦しくて小難しいかと思ったらそれは大間違い。
強烈な個性を持つ神々がやりたい放題で引き起こすトラブルや恋愛模様は、あなたをすぐに夢中にさせることでしょう。
「日本神話」の全体像は、以下で解説しているよ!
さぁ、あなたも情緒あふれる八百万の神々が住まう世界に、ともに足を踏み入れてみましょう。
伊奢沙和気命ってどんな神さま?
伊奢沙和気命(以下、イザサワケ)がどんな神さまなのか、さっそく見ていきましょう。
いくぜっ!!
簡易プロフィール
正式名称 | 伊奢沙和気命 Izasawakenomikoto |
---|---|
別称 | 去来紗別神 伊奢沙和気大神之命 御食津大神 気比大神 |
神格 | 海の神 風の神 食物の神 航海の神 農業の神 漁業の神 |
性別 | 男性 |
勢力 | 国津神 |
親 | 父:宇佐臣命 ※『新撰姓氏録』 母:不明 |
配偶者 | 不明 |
子 | 不明 |
神徳(ご利益) | ・航海安全 ・大漁 ・五穀豊穣 ・無病息災 ・衣食住の守護など |
神社 | 氣比神宮 劔神社ほか ※別途詳述 |
誕生と家族、というより出自
イザサワケは日本神話に登場する食物の神さま、そして航海の神さまです。
彼の系譜や家族関係については不明瞭な部分が多く、父親が宇佐臣命であることが『新撰姓氏録』に記されているくらいで、母親をはじめとしたその他の情報は分かっていません。
とはいえイザサワケの活動拠点ははっきりしており、彼は越前国の角鹿(福井県敦賀市)に鎮座して、現地の人々から有力な神さまとして篤く信仰されていました。
角鹿の地は現在の敦賀湾に接する日本海側屈指の良港で、古来より北陸と畿内を結び、また大陸ともつながる交通の要衝でした。
その一方、敦賀湾は台風の被害を受けやすい地域でもあったようで、イザサワケを祀る氣比神宮では、古くから鎮風祭が執り行われたともされています。
こういった点から、イザサワケはもともと地域に根差した航海の守護神、あるいは風の神さまとして崇敬を受けていたと考えられています。
新羅遠征のあとに、神功皇后が参拝した
という伝承もあるぞい
遣唐使の航海の安全も祈願されたそうだよ!
また、彼は神話の物語のなかで御食津大神(のちに気比大神)と名付けられ、食物の神さまとしての神格も持つようになります。
このあたりは後ほど解説するわよ
さらにイザサワケには、その正体が神功皇后の先祖にして新羅の元王子、天之日矛命であるとする説も存在します。
彼が朝鮮半島からもたらした神宝(『日本書紀』ver.)のひとつ、「胆狭浅大刀」が「伊奢沙和気」の名称の由来と考えられるほか、神功皇后と関連があることや、角鹿の港で渡来人との交流が行われたこと等からそういった見方がされているようです。
「胆狭浅大刀」を御神体として祀ったのが
氣比神宮とも考えられておるのじゃ
まぁ本当のところは誰にも分からんやね
名前の由来
イザサワケの正式名称である伊奢沙和気命及びその他の名称には、どのような意味が込められているのでしょうか。
一般には、
- 「伊奢」は「誘ふ」、「沙」は神聖な「稲」の意で、「和気」は男子に対する尊称であることから、彼が農業を司る神さまであることを示す
- 「奢沙」を「笹」の意と解し、イザサワケが風の神さまとして笹の葉を揺らす様子を表している
- 「伊奢沙和気大神之命」は尊称が重複しているようにみえるが、この場合の「之命」は「~の御言葉」という意味合いで、彼が夢の中で話しかけてきたという文脈を示している
- 「気」は「食物」、「比」は「神霊」の意で、彼が食物の神さまであることを表す
- 『日本書紀』で「気比」は「笥飯」と表記され、「笥」は「食器」を、「飯」は「食物」を表すことから、やはり彼が食物の神さまであることを示す
- 『日本書紀』に「笥飯宮」や「笥飯浦」といった名称があることから、「気比」は角鹿の地名を指す
- 「御食」は天皇の食料や神さまに供える神饌を指し、「津」は助詞で、彼が食料を司る神さまであることを示す
といったことが言われているようです。
イザサワケがもつ属性を大別すると、
- 海や風を掌握する「航海」の神さまとしての側面
- 特に高貴な人物や神聖な存在に提供される「食物」の神さまとしての側面
の2つに分けられます。
前者がイザサワケの本来の素の顔で、
後者が政治的な都合で身につけた神格と見たわ
次に紹介する彼の物語で、
いくらかはっきりと分かるかもしれんのう
伊奢沙和気命の活躍シーン
イザサワケの活躍を見てみよう!
若き皇太子と名前を交換し、食物の神さまとしての神格を手に入れる
イザサワケは、神功皇后(息長帯比売命)が新羅の地に遠征した、『三韓征伐』のその後の物語に登場します。
無事に新羅を降伏させて筑紫国(福岡県)に帰還を果たした神功皇后は、その地で息子の品陀和気命(後の第十五代応神天皇)を出産します。
しかし父親である第十四代仲哀天皇はすでに崩御しており、彼には別の妻との間に生まれた、香坂王と忍熊王の2人の皇子がいました。
つまり、生まれて間もない品陀和気には、異母兄たちとの皇位継承争いに巻き込まれる危険が迫っていたのです。
それを察した母・神功皇后は一計を案じ、品陀和気が生まれてすぐに亡くなってしまったという噂を流します。
この偽情報に釣られた2人の皇子は、彼女を討って皇位を確固たるものとするべく、すぐに兵を挙げて反乱を起こしました。
しかし一計を案じることに定評のある神功皇后の軍勢、彼らは一枚上手の戦術で反乱軍を翻弄し、見事に忍熊王を討伐します。
※香坂王は接触前に事故で亡くなっている。
定評のある「一計」はコチラ
母の愛と智謀によって命を救われた品陀和気、しかしそこには一つだけ問題が残っていました。
それは、戦いに勝つためとはいえ、品陀和気が死人に見立てられてしまったことです。
古来より、「死」や「死者」は穢れているとされ、忌み嫌われてきました。
生きている人間を死者に見立てることも同様で、とんでもなく縁起の悪いことであり、品陀和気は穢れを祓うための「禊」を行う必要があったのです。
そのサポートを命じられたのが建内宿禰、第十二代景行天皇の代から天皇家に仕えている、常軌を逸したレベルの大ベテランです。
幼い品陀和気は彼に連れられて、「禊」の旅に出発するのでした。
2人は近江国(滋賀県)や若狭国(福井県南部)を巡礼し、穢れを祓う旅を続けました。
その後、越前国(福井県北部)の角鹿を訪れた建内宿禰は、そこに仮宮を建てて皇子を住まわせ、「禊」の行事を行ったとされています。
そんなある夜、建内宿禰の夢に今回の主人公・イザサワケが登場し、彼にこんな提案をしました。
わしの名と、その御子の名を取りかえっこせんね?
はぁ、それはありがたいことで、仰せの通りにいたしやしょ
ほんなら明日の朝、浜に出てみんしゃい
トレード成立の証に、贈り物をあげましょ
翌朝、建内宿禰と品陀和気が連れ立って浜に出てみると、そこには鼻に傷のあるたくさんの入鹿魚が寄り集まっていました。
品陀和気は、多くの食べ物(御食)を恵んでくれた神さまに感謝を表明し、その御名を称えて「御食津大神」と名付けたと伝えられています。
のちに「気比大神」とも呼ばれるようになったぞい
それ以来、この地方から朝廷に塩や魚介類が多く献上されるようになったそうです。
傷ついた入鹿魚たちの血が臭かったことから、この地は「血浦」と呼ばれ、後に「都奴賀(角鹿)」となり、現在では「敦賀」という地名で知られています。
こうして無事に「禊」の行事を終えた建内宿禰と品陀和気は、2人仲良く大和国(奈良県)へと帰っていきました。
「御食津大神」の由来は分かったけど、
このエピソードは何を表しているのかしら?
後に天皇に即位する品陀和気と、角鹿の地元の神さまであるイザサワケが名前を取り替えたこのシーンには、概ね以下のような意味があると考えられています。
- 本来の目的通り、品陀和気が名を変えることで死の穢れが払拭され、綺麗に再生したことを示す
- 典型的な成人儀礼のひとつである「名前替え」の神事を象徴しており、品陀和気が立派に成人して改名した事を神話的に表現している
- 名前をもらい受けることは「支配」を意味することから、角鹿の勢力ないしは土着の神々が大和王権に服属したことを象徴しており、入鹿魚は服従の証の捧げ物と捉えられる
- 天皇に食料を献上する「御食国」であった若狭国(福井県南部)の物資が、角鹿の港から大和国(奈良県)へ運ばれたことから、周辺地域一帯が「御食国」として朝廷に服従したことを表す
イザサワケが、実際に食物の神さまとしての神格をもったことを考えると、やはりこの地域が大和朝廷の支配下に降り、天皇に食料を献上するようになった経緯を表すと考えるのが自然かもしれません。
やはり、いつも通り政治的なやつだったね!
話としてはどうしても「支配」と「服従」の関係になってしまいますが、イザサワケは古代の朝廷からも篤く崇敬されたと伝えられています。
彼が鎮座する氣比神宮は、大和国(奈良県)の龍田神社や広瀬神社と並び称されるほどに霊験あらたかであったとされ、イザサワケ自身もまた、八百万の神々の中でかなり重要な位置を占めたと考えられているのです。
わし、ちゃ~んと偉いのよん
伊奢沙和気命を祀る神社ガイド
イザサワケは、いくつかの神社で祀られています。
代表的な場所をご紹介するわね!
- 氣比神宮
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福井県敦賀市曙町
- 劔神社
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福井県丹生郡越前町織田
- 道野辺八幡宮
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千葉県鎌ケ谷市道野辺中央
- 飯豊和気神社
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福島県郡山市三穂田町下守屋
- 気比神社
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福井県福井市三留町
- 吉田気比古神社
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石川県七尾市吉田町
- 澁川神社
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愛知県尾張旭市印場元町
などです!
おわりに
今回は、日本神話に登場する伊奢沙和気命について解説しました。
神話の物語上はスポット出演って感じだったけど、
日本を代表する有名な神さまだったのね
風神としても食物の神さまとしても、
朝廷から崇敬されるほどの霊威をもっていたんだね!
パパトトブログ-日本神話篇-では、私たちの祖国に伝わる魅力的な神々や彼らの物語をご紹介していきます。
神さま個別のプロフィール紹介や神話の名場面をストーリー調で解説など、難しい言葉は出来るだけ使わずに、あらゆる角度から楽しんでもらえるようにしようと考えています。
これからも「日本神話」の魅力をどんどんご紹介してきますので、良ければまた読んでもらえると嬉しいです!
また来てね!
しーゆーあげん!
参考文献
- 倉野憲司校注 『古事記』 岩波文庫 2010年
- 島崎晋[監修] 日本博学倶楽部[著] 『日本の「神話」と「古代史」がよくわかる本』 PHP文庫 2010年
- 由良弥生 『眠れないほど面白い『古事記』』 王様文庫 2014年
- 由良弥生 『読めば読むほど面白い『古事記』75の神社と神さまの物語』 王様文庫 2015年
- 歴史雑学研究倶楽部 『世界の神話がわかる本』 Gakken 2010年
- 宮崎市神話・観光ガイドボランティア協議会編集 『ひむか神話伝説 全212話』 鉱脈社 2015年
- 中村圭志 『図解 世界5大神話入門』 ディスカヴァー・トゥエンティワン 2020年
- かみゆ歴史編集部 『マンガ面白いほどよくわかる!古事記』 西東社 2017年
- 戸部民夫 『「日本の神様」がよくわかる本』 PHP文庫 2007年
- 三浦佑之 『あらすじで読み解く 古事記神話』 文藝春秋 2013年
- 國學院大學 「古典文化学」事業:https://kojiki.kokugakuin.ac.jp/research/
- 茂木貞純監修『日本の神様ご利益事典』だいわ文庫 2018年
- 武光誠『知っておきたい日本の神様』角川ソフィア文庫 2005年
- 阿部正路監修『日本の神様を知る事典』日本文芸社 1987年
他…
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