こんにちは!今回はエジプト神話より
太陽神アテンを紹介するよ!
出たわね太陽神シリーズ!
彼は数多くいる太陽神の1人だけど、
飛びぬけて数奇な運命を辿った神さまだよ!
ではさっそくいってみよう!
この記事は、以下のような方に向けて書いています。
- エジプト神話にちょっと興味がある人
- エジプト神話に登場する神さまのことをざっくり知りたい人
- とりあえず誰かにどや顔でうんちく話をしたい人
- エジプト神話に登場する「太陽神アテン」について少し詳しくなります。
- あなたのエセ教養人レベルが1アップします。
そもそも「エジプト神話」って何?
「太陽神アテン」はエジプト神話に登場する神さまです。
エジプト神話とは、ナイル川流域で栄えた古代エジプト文明の人々に信仰された神さま達の物語。鳥やカエルなど、動物をモチーフにしたユニークな神さまも数多く登場する多神教の世界です。
大きく分けて4つの地域でそれぞれ異なるストーリー(創世神話)が語られており、そのすべてを「エジプト神話」として認めるおおらかさと寛容さを持っています。
そのぶん矛盾や混乱が見られますが、それもまたエジプト神話の魅力であり他の神話とは一線を画す持ち味にもなっています。
政治の都合で浮き沈みするのがエジプトの神々なのじゃ
主に以下のあたりの地域で信仰された神話です。
エジプト神話は起源の特定が難しいと言われます。
古代エジプト文明成立の時期から考えても、約5,000年前には神話に登場する神さま達への信仰があったようです。
とても長い歴史を持つ、ミステリアスな魅力あふれる物語です。
太陽神アテンってどんな神さま?
アテンは古代エジプトのテーベ周辺で崇拝された太陽神で、日輪そのものの姿で描かれ、太陽が最も強く輝いている瞬間を表しています。
彼はもともと一地方神にすぎず、また数多くいる太陽神の1人として細々と崇拝された、あまり目立たない存在だったようです。
しかし第18王朝のアメンホテプ3世の治世に入ると太陽神として一気に崇拝を受けるようになり、後継者のアメンホテプ4世の時代には、なんと最高神の地位にまで引き上げられました。
この大躍進の要因がアテン自身の能力や魅力にあったわけでもないのが悲しいところ。
当時ファラオをしのぐ権力を持っていた、太陽神アメンを祀る神官たちに対抗するために、政治的手段として最高神にして唯一神の座に据えられたのがアテンだったのです。
アテンが最高神とされた時代には、王朝の首都はテーベからアケト・アテンに遷都されました。
しかし政治で出世した神さまは政治で失脚するのが古代エジプト、彼を推したファラオが永眠すると、その信仰は即座に終了してしまいました。
最高神としての在位は約20年と、アテンは古代エジプト屈指の一発屋として名を残してしまった神さまだったのです。
アケト・アテンは以下のあたりの地域だよ
こんなビジュアル
アテンは世界を照らす太陽とそのエネルギーを神格化した神さまであり、どこにでも存在し、実体を持たない存在であると考えられていたようです。
そのため彼は、他のエジプトの神々のように動物や人間の姿をした物理的な存在として描かれることはありませんでした。
アテンは太陽円盤と、そこから伸びる何本もの太陽光線を組み合わせた図像で表されました。
光線の先端は人間の手のような形をしており、いくつかの手にはアンク(生命の象徴)が握られ、それをファラオに手渡しています。
なぜ彼が抽象的な姿で描かれ、完全な状態で表せないのかというと、アテンが「創造」を超越した存在だからであるという説明がされています。
よく分からんわね
とにかくすべてを超越しておるのじゃ
また彼の姿を描いたり、像を彫ったりすることは偶像崇拝として禁じられたので、王が神から恵みを受け取る様子を表現しているともされています。
とはいえアテンのこの姿が強調されるようになったのは、彼が最高神におし上げられて以降のことで、ファラオの権威を強化する意図もあったと考えられています。
それ以前の彼は、太陽神ラーのようにハヤブサの頭を持つ人間や、太陽円盤を頭に載せたハヤブサの姿でも描かれていたようです。
アテンを最高神とする「アテン教」への移行が推し進められると、さらに強力な偶像破壊命令が下され、アテンを太陽円盤として描写することさえ禁止されました。
アクエンアテンの命により、彼の名前は音声的に綴られなければならないとされたのです。
絵に描いちゃダメは新要素だね
偶像崇拝禁止はけっこうキーワードじゃのう
簡易プロフィール
名前 | アテン(Aten) |
---|---|
その他の呼び名 | アトン(Aton) アトヌ(Atonu) イトゥン(Itn) |
象徴 | 太陽円盤 太陽光線 |
役割 | 太陽神 最高神(一代だけ) |
業績 | 単独でのストーリーは特になし |
家族 | なし |
誕生と家族
アテンは自身の誕生を説明する特定の創造神話を持っておらず、家族がいたという設定もありません。
神さまとしての彼に初めて言及しているのは、第12王朝(紀元前1991年~紀元前1802年頃)の時代に著された、『シヌへの物語』と呼ばれる文学作品です。
その中で、亡くなった王は天に昇り、太陽の円盤(神であり創造主)と一体化した、と描写されています。
作中での設定どおり、アテンは日輪を神格化した神さまで、初期はテーベ周辺で崇拝されていました。
しかし彼はあくまでも地方神の1人に過ぎず、特に活躍する物語もなく、どんな性質を持っているかもはっきりしない影の薄い存在だったようです。
そのためアテンは、太陽を司る神さまとして既に名をはせていた太陽神ラーの1つの側面であるとも見なされていました。
なんか…
心臓がキュッとなるんだが…
あまり信仰が盛り上がらなかったアテンですが、時代が下り第18王朝(紀元前1570年~紀元前1293年頃)の時代になると彼を取り巻く環境が文字通り一変します。
アテンを熱心に崇拝していたアメンホテプ3世がファラオの座についたのです。
to be continued…
今回は太陽神のアテンね…ん?
なんか似たような名前の神さまいなかったかしら…?
それは太陽神アメンの事じゃろう
似たような名前が多くて混乱しやすいエジプト神話の神々ですが、今回ご紹介しているアテンと太陽神アメンは特に分かりにくかもしれません。
それぞれの違いを簡単にご紹介しておきます。
結論、それぞれ全く別の神さまじゃ!!
アテンとアメンを混同しやすい一番の原因は、日本語読みでの2人の名前が似ている点でしょう。
しかし彼らには、さらに以下のような共通点もあります。
- もともとテーベで崇拝された地方神だった
- 太陽神としての属性を持った
- 創造神としての属性を持った
- 政治的な都合で最高神の地位に据えられた
ほとんど同じじゃねぇか!
多くの共通点を持つ2人ですが、先に述べた通り彼らは全く別個の存在です。
アテンとアメンの違いを一覧にすると以下のように説明できます。
ほぼ本文のネタバレです
アテン | アメン | |
---|---|---|
太陽神ラーとの関係 | アテンはラーの一側面である (一瞬だけラー・ホルス・アテンとも呼ばれた) | すでに多くの神さまと習合(他の神さまと一体化する事)していたラーをも取り込み、アメン・ラーとして事実上最強の存在となる |
最高神としての在位 | アクエンアテンが推し活した約20年程度 | 本格的な活躍開始からざっくり計算でも約1,300年弱 |
退位後の扱い | 普通になかったことにされた | 最高神の座を降りた後も内外で崇拝された |
基本的にはアメン一強の時代が長く続きましたが、その間にアクエンアテンが在位した期間だけ、アテンが最高神として扱われたというような関係性になっています。
あぁ…また心臓がキュッとなった…
もうやめて!
とっくにアテンのライフは0よ!!
ちーん
アテン神、その隆盛と衰退 ~気の毒すぎた三日天下~
アテンの活躍(?)を見てみよう!
熱心なファンにより一気に最高神に据えられる
先述の通りアテンはもともとテーベ周辺で信仰されましたが、なかなか芽が出ず燻っていました。
しかし第18王朝の時代になりアメンホテプ3世が即位すると、アテンは太陽神であり創造神として広く崇拝されるようになりました。
彼はこの時代に太陽神ラーによく似たハヤブサの頭を持つ神さまとして描かれたようです。
アメンホテプ3世が王家の船を「アテンの精霊」と名付けるなど、アテンの知名度は瞬く間に上がっていきました。
アテンさま~
お、お、お、おう!
急すぎてキョドってるじゃない
ほぼ無名の太陽神がいきなり有名になり崇拝されるというのも、えらく極端な気がしますが、話はこれでもまだ可愛い方でした。
アメンホテプ3世の行動が個人の推し活程度に思えるほど、極端な事をやってのける逸材が登場します。
それが彼の後を継いで王座についた、アメンホテプ4世でした。
アテン推しが激しいアメンホテプ4世は、その治世の5年目にアテン信仰を国政に導入し、彼を一気に最高神の地位に引き上げたのです。
また彼自身も、自らの名前を「アテン神に有益なる者」を意味するアクエンアテンに改名しました。
アクエンアテンは同じ時期に、テーベに代わる首都として「アテンの地平線」を意味するアケト・アテンという都の建設に着手し、即位7年目には実際に遷都しています。
この地はアマルナやテル・エル・アマルナという名前でも呼ばれます。
すでにその極端さが見え始めているアクエンアテンですが、この時点では歴代のファラオたちと同様に、彼もまたアテン以外の伝統的な神々への崇拝を許容していました。
推し活のスケールじゃないのよ
とんでもない行動力だね
それなりの理由があった?超極端な「アマルナ革命」!
アクエンアテンの突飛な行動を面白おかしく書いてはいますが、彼のアテン推しにも遷都にも自身の改名にも、きちんとした政治的な理由があったとされています。
時は大きく遡り、第12王朝(紀元前1991年~紀元前1782年頃)時代のファラオであるアメンエムハト1世は、太陽神アメンを国家神として最高位に据えました。
これ以降彼は長きにわたり崇拝され、ちょうどアクエンアテンの治世中に、アメン信仰は全盛期を迎えていたと言われています。
アメンがあまりにも崇拝されたことから、彼を祀る祭司団は非常に大きな影響力を持つようになり、ファラオと同等かそれ以上とも言われるほどの権力を誇ったそうです。
一見無軌道にも思えるアクエンアテンのムーブには、力を持ちすぎたアメン祭司団の勢力を削る目的があったと考えられているのです。
破天荒キャラかと思いきや、
結構リアルな問題を抱えていたのね…
アクエンアテンは在位9年目に、さらに過激で極端な新宗教を宣言します。
彼はアテンをエジプトの最高神であるだけでなく、エジプトの唯一の神であるとし、アメンをはじめとした他の伝統的なエジプト神たちへの信仰を禁止したのです。
またアクエンアテンは自らを最高神アテンとエジプトの人々の間の、唯一の仲介者であると宣言しました。
古代エジプトの伝統的な多神教から唯一神を仰ぐ一神教のような宗教形態への移行は、「アマルナ宗教改革」または「アマルナ革命」と呼ばれます。
そしてアテンのみを崇拝することは、これまでの伝統的な信仰と区別して「アテン教」や「アテン主義」と呼ばれ、この時期全体をひっくるめて「アマルナ時代」とも表現します。
後の一神教における預言者のような立ち位置だね
ここまでほぼ人間の政治の話で、
アテンちゃん何もしてない…
……
エジプト神あるあるじゃ、しゃあないぞい
アクエンアテンはこの改革で偶像崇拝の禁止を命じ、他の神々を象った像は破壊されました。
後には太陽円盤として描かれるアテンの図像すら禁止され、神の名は音声によってのみ綴られるべきだとされました。
また太陽神アメンをはじめとした他の神々を祀っていた神官たちは解雇され、神殿も閉鎖され、彼らが得ていた収益は全てアテン(≒アクエンアテン)に寄進されました。
アクエンアテンの改革断行は、着々とアテンを唯一にして至高の存在にしていったのです。
ナンバーワンに~♪
なった上でのオンリーワン!!
アクエンアテンの現実的な目的は、かつての時代のようにすべての権力を王に集中させることにあったのではないかとも考えられます。
アクエンアテンの改革はアテンを唯一の国家神としたことから、後に興る「唯一神教」の最初の例であると考えられた時期もあったそうです。
しかし実際には、彼は他の伝統的な神々の存在を積極的に否定したわけではなく、単に彼らへの崇拝を控えていただけだったと言われています。
- 偶像崇拝は禁止するから像は壊すけど、
神々の存在そのものを否定するわけではない。 - 国政としてはアテンだけを信仰するけど、
神々の存在そのものを否定するわけではない。 - 神官が権力持つと困るから神殿閉じるけど、
神々の存在そのものを否定するわけではない。
といった理屈でしょうか。
そのため現在のエジプト学者は、彼が敷いた信仰のあり方を「拝一神教」や「単一神教」、「一神教的宗教」と見なしているそうです。
これらはいずれも、他の神々の存在を認めない「唯一神教」に対して、いろいろな神さまが存在する事を前提にしています。
古代人の方がバランス感覚あるんじゃねぇの?
まさに邯鄲の夢、アテン教の終焉
アクエンアテンが鉄の意志で断行した改革とアテン一強体制は、残念ながら長くは続きませんでした。
現存する資料が乏しく正確なことは分かっていないようですが、彼の治世の末期に大規模な疫病が蔓延し、かなりの国力を失ったと伝えられています。
このパンデミックはアクエンアテン政権の衰退の一因となり、アメン祭司団たちの抵抗を抑える事が出来なくなったとも言われます。
アクエンアテンの他界後、数名の後継者はアメンの神官たちと妥協を図りつつも、アテン信仰を維持しようとしたようです。
しかしその後王位についた有名なツタンカーメンはこう言いました。
いや、普通に前の感じに戻すよ?
ええっ!?
彼は太陽神アメンの信仰を復活させ、また他の神々への崇拝禁止令を解除しました。
またアケト・アテンに移されていた首都も、改めてテーベに遷都し直したとされています。
ツタンカーメンの宗教面における統治は寛容で、わざわざアテン信仰を粛清したりはしなかったそうですが、もともとそんなに有名ではなかったアテンへの崇拝は自然消滅的に衰退していったと考えられています。
彼はアマルナ時代以前の「太陽神の1人」に戻され、約20年間続いたその栄華は一夜の夢と終わったのです。
ちーん
アテンちゃんに特に過失が無いのが辛い…
心臓がキュッとなるのう
あんたの場合、別の問題の可能性があるのよ
世界の神話との関係
アクエンアテンはアテンを唯一の国家神とする方向に舵を切りました。
しかしそれ以前は、彼を影響力の大きい太陽神ラーの異形(別フォーム)として提示しようと考えていたようです。
またラーは天空の神ホルスとも同一視される側面がありました。
そのためアケト・アテン(アマルナ)の土地の境界線を示すために置かれた碑文には、「ラー・ホルス・アテン」という名前がしばしば刻まれていたと言われています。
後の唯一神教の発展に影響した?
現役で数多くの信者を擁する唯一神教に、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教があります。
これらは一連の流れで枝分かれのように発展していった宗教ですが、最初に興ったユダヤ教の形成に、今回ご紹介したアテンが影響しているという説があるのです。
アクエンアテンが推進した「アテン教」の一神教的な性格は、実際に様々な著述家によってユダヤ教との関連が指摘されています。
有名な精神分析医のジークムント・フロイトは著書『モーゼと一神教』の中で、アクエンアテンが一神教の先駆者であり、モーゼがアクエンアテンの追随者であると想定しています。
また彼はアクエンアテンの治世年と出エジプトの年と推定される年代がほぼ同じである事を根拠に、アテン神がユダヤ教の神ヤハウェの原形とする説を唱えたとされています。
- 偶像崇拝を禁じる
- 王のみが神さまと人間を仲介できる ≒ ユダヤ教以降の「預言者」の概念
納得できる共通点が多いのよ
もし事実なら、後世にとんでもなく
どでかい影響を残したことになるわよね
そして でんせつが はじまった……!
アテンが登場するエンタメ作品
アテンはいくつかのエンタメ作品に登場していたよ!
アテンが登場する作品を簡単に紹介するわよ~
- パズル&ドラゴンズ
-
パズドラはガンホー・オンライン・エンターテイメントから配信されているゲームアプリです。
この作品には天陽の超越神・アテンという名前で彼が登場しています。
アテンのビジュアルをさらに可愛くしたクラゲのような生き物の周りに、古代エジプトっぽいさまざまな装飾がされており、情報量が多くて何が描いてあるかははっきりとは分かりませんでした。
彼は進化するようで、鎧のようなものを身に着けたり、さらに情報量が増えていました。 - 神姫PROJECT
-
『神姫PROJECT』は、テクロスが開発し、DMM.comより配信されているブラウザゲームです。
この作品には、太陽神らしく黄色の髪とオレンジ系の衣装を身に着けた、活発そうな女の子の姿でアテンが登場しています。
属性はもちろん「光」で、己を犠牲にしてでも悪を討ち、正義を為そうとするキャラクターとして描かれているようです。
おわりに
今回は、エジプト神話の太陽神アテンを紹介してきました。
エジプト神話に登場する神さまは途方もないほどに数が多く、一説には名前が分かっているだけでも約1,500の神さまがいるとも言われています。
他にも見た目が可愛かったり言動がぶっ飛んでいたり、魅力的な神さまがたくさん存在します。
その他の記事でもどんどんご紹介していきますので、良ければまた読んでもらえると嬉しいです!
神さまの紹介記事のはずが、
ほとんど古代エジプト史の解説で終わったんだが?
現実の政治と切っても切り離せないのが
エジプト神の宿命だね!
しーゆーあげん!
参考文献
- ヴェロニカ・イオンズ 『エジプト神話』 青土社 1997年
- 大林太良 伊藤清司 吉田敦彦 松村一男 『世界神話事典 世界の神々の誕生』 角川ソフィア文庫 2023年
- 沢辺有司 『図解 いちばんやさしい世界神話の本』 彩図社 2021年
- 歴史雑学研究倶楽部 『世界の神話がわかる本』 Gakken 2010年
- 沖田瑞穂 『すごい神話 現代人のための神話学53講 』 新潮社 2022年
- かみゆ歴史編集部 『ゼロからわかるエジプト神話』 文庫ぎんが堂 2019年
他…
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